外戚伝では、はじめによい寄与をした妃と、害悪を流した妃の例を挙げ夫婦が大切であることを述べています。
それから漢代での皇帝の夫人たちの呼称、格式についての記述がでてきます。初めは秦の時代に従い帝の母を皇太后、祖母を太皇太后、正夫人を皇后とし、妾はみな夫人と称したとのことです。その他に美人・良人・八子・七子・長使・少使などの称号があったとされます。項羽が愛した“虞美人”の“美人”は後宮の中での称号に対応しています。
武帝の時代になって、婕妤(ショウヨ)、娙娥(ケイガ)、傛華(ヨウカ)、充依(ジュウイ)という称号が制定されそれぞれに爵位があった、と記述されます。さらに元帝(武帝から三代あとの皇帝)が昭儀(ショウギ)という称号を追加した、全部で十四等級とした、と書いてあります。
格式を表の形に纏めると下の通りです。ただし上の十四等級とは辻褄があっていません。表で“なぞらえる”は原文で“視”であり、“匹敵する”は原文で“比”となっているものです。普通の男の爵位そのものは二十あります。表中で諸侯王になれるのは皇族だけで、臣下がなれる最高の爵位が二十等の列侯、その次が十九等の関内侯です。
称号
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なぞらえる職位
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匹敵する爵位(括弧内は爵等級)
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昭儀
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丞相
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諸侯王
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婕妤
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上卿
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列侯(20)
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娙娥
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中二千石(2160石)
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関内侯(19; 実利では列侯並)
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傛華
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真二千石(1800石)
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大上造(16)
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美人
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二千石(1440石)
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少上造(15)
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八子
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千石
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中更(13)
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充依
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千石(九百石か?)
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左更(12)
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七子
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八百石
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右庶長(11)
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良人
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八百石(七百石か?)
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左庶長(10)
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長使
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六百石
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五大夫(9)
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少使
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四百石
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公乗(8)
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五官
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三百石
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順常
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二百石
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以下次の文言が続きます。
さらに低い地位の者については以下の記述の通りです
「無涓、共和、娛靈、保林、良使、夜者皆視百石。」
すなわち、“無涓から夜者までが百石になぞらえ、”
「上家人子、中家人子視有秩斗食云。」
“上家人子、中家人子は有秩・斗食になぞらえられる。”
ここで家人子とは良家の女子を宮中に入れられたがまだ職号のないものです。職号はなくても、対応する普通の男の爵としては有秩や斗食にあたるのです。有秩は郡の官吏で賦役、徴税の差配をします。斗食は一日一斗二升貰う役人です。
さらについでに
「五官以下,葬司馬門外。」
五官以下のものは、司馬門外(王宮の外門の外)に葬られる。
となっています。
なお、漢代の一石(セキ)は120斤で一斤が258 gですから一石は31
kgになります。
つまり上位の人は格式もお手当も相当なものだったようです。
このお手当で白楽天の長恨歌にある如く「後宮佳麗三千人」だったら大層なものいりです。
ものいりだけならまだましですが、権力を握っているものが自分の娘を後宮に押し込んできたりします。これでお世継ぎを産んでくれれば、皇帝の祖父あるいは祖母となり、一段と権勢を振るえることを当て込んでいます。
また逆に寵愛した女の親兄弟を実家の身分が低いと体裁悪いので、高い位につけたりしますが、これが外戚として権勢を振るったりします。
つまり政治にしばしば影響を与えるということになります。
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