2018年1月8日月曜日

論語(21); -君子と小人(vi)-

憲問第十四の6にも君子への言及があります。
南宮适(ナンキュウカツ)が孔子に、羿(ゲイ)は弓の名手、奡(ゴウ)(地上で)大舟を動かすほどの大力だったが、非業の死を遂げ、一方、禹(夏王朝の始祖)、稷(ショク、舜に仕え農業大臣になった。子孫が周の始祖。)は自ら耕していたが天下を得るようになりましたが、これはどういうことでしょうか、と問いかけます。
この問いかけに孔子は答えなかったのですが、あとで“君子だな。あの人は(力を重んぜず)、徳を尊ぶ。”とほめています。

次の憲問第十四の7において
「君子而不仁者有矣夫,未有小人而仁者也
とあります。即ち
“君子でも仁の道からはずれることがあるかも知れない。しかし小人なのに仁の道にかなう人はいない。”
ということです。
つまりここでいう仁者は君子の最高段階の完成した人ということになります。すでに君子として認められるのが大変なのですが、仁者なんてどこにいるのだ、という感じです。

憲問第十四の24には
「君子上達,小人下達
という言葉があります。
これはいろいろな説明がありますが、“君子は高尚なことに通じるが、小人は下賤なことに通じる”という解釈があります。これだと君子と小人(ii)に挙げた里仁第四の16
「君子於義,小人於利。」
つまり
“君子は正義に明るく、小人は利益にあかるい。”
と近い話になります。また別の意見に
“君子は道義に従って修養するから段々向上するが、小人は利欲に志して安逸に堕すから下落留まるところがない”
という説明もあるようです。こちらの方が学問に努め向上せよ、という含意があるようでよいですね。

憲問第十四の28
「君子思不出其位」
とあります。これは易経にあることばで、“君子は自分の職分以上のことは考えない”と説明されています。
しかし、それだと、何か問題を生じた時に、“それは自分の考えることではない、”あるいは“自分からは何も言えない”という逃げ口上に使えそうな感じですね。





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