2018年12月16日日曜日

論語(29); -君子と小人(ix)-

堯曰第二十は三章しかありません。その2の中で子張がどのようなことができれば政治を担当できるか質問しています。

孔子の答えは政治を担当できる者(君子)は“五美を行い、四悪を除けば政治に従事できる”といいます。そこで五美とは何ですかと子張が質問すると、以下の答えです。
「君子惠而不費,勞而不怨,欲而不貪,泰而不驕,威而不猛。」
ところで論語は訳書により差があるのですが、ここの問答は訳により結構差があると思います。

金谷治さんの訳では
“上に立つものが恵んでも費用をかけず、骨を折っても怨みとせず、求めても貪らず、ゆったりとして高ぶらず、威厳があっても烈しくない。”
となります。直訳という感じです。
最初の三つの美は特に分かりにくいです。
恵むとは何を恵むのでしょうか。行政官として何か民に分け与えるのでしょうか、自分の財産を人に与えるのでしょうか。自分の財なら”恵んでも費用をかけず”というのは単に吝嗇に見えてしまいます。
民が使役された結果、骨を折るが怨みに思わないとは、具体的には何をどうしたらそうなるのでしょうか。
求めて貪らずとは何を誰にもとめているのでしょうか?貪るとはどういうことをすることを指しているのでしょうか。訳文をみてもわかりません。論語のこの文章は続きを読まない限り、もとからわからない文なのだと判定せざるをえません。ならば訳は後段を頭に置いた意訳の方がよいのではないでしょうか?

吉田賢抗さんの訳では
“君子は人民に恵み深いが、さりとてその富を無駄に浪費してはならぬ。君子は民に骨折りの仕事をさせるが、さりとて民が怨むようではいけない。君子には欲望があるが、さりとて他人のものを貪り求めることがない。君子は泰然としてゆったりしているがさりとて人におごり高ぶることがない。君子は自然に備わった威厳はあるが、さりとて他人を害うような猛々しさはない。”
となります。恵みの内容については相変わらず分かりません。金谷さんが費用をかけないと訳した部分は“無駄に浪費してはならぬ、”になっています。しかし、無駄遣いをしない、なんて当たり前に聞こえます。
“君子には欲望があるが、さりとて他人のものを貪り求めることがない。” はこの通りに聞くならば君子でなくて普通の人でも当然の話に聞こえます。

宇野哲人さんの訳では
“君子は政を行って人に恵みを施すが、己の財が費えることはない。これが一の美である。また人を使って労働させるけれども、反って歓ばれて怨まれることがない。これが二の美である。また欲するところがあるけれとも、人に求めないから貪るとはいわれない。これが三の美である。また泰然として常に得意でいるが驕り肆(ホシイママ)なことはしない。これが四の美である。威厳があるけれどもあらあらしい所がない、これが五つの美である。”
となります。

ここでははっきりと恵みほどこすが己の財が費えない、と説明しています。つまり自分の財物を差し出す訳ではないのです。行政手段によってだと理解できます。しかし人を使って怨まれないとか、は具体的な内容説明がないからよく分かりません。人に求めないから貪るとは言われない、の意味はこのままではわかりません。

どの訳でもこれだけでは理解が難しいのは、もともとの説明が簡略に過ぎてわかりにくいからでしょう。


当然ながら子張が一番目の美の「惠而不費」とはどういうことですか、と質問します。これにたいしてまた孔子が詳しく答えるのです。ならば「君子惠而不費,勞而不怨,欲而不貪,泰而不驕,威而不猛。」などという五美についての説明がどうして要るのかわかりません。




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2018年12月10日月曜日

論語(28); -君子と小人(xiii)-

子張第十九の12に於いて、
子夏聞之曰:「噫!言游過矣!君子之道,孰先傳焉?孰後倦焉?譬諸草木,區以別矣。君子之道,焉可誣也?有始有卒者,其惟聖人乎!」
という言葉が出てきます。

ことのはじまりは孔子の弟子である子游が「子夏の弟子は客の受け答えや動作についてはよいが、それは末のことだ。倫理の根本については何もない、これはどんなものだろう。」と言ったのを聞いた時の意見で、
“ああ、言游(子游のこと)は間違っている。君子の道はどれかを先に立てて伝えるとか、どれを後回しにして怠るというものではない。(門人の力に合わせて教えるまでだ)丁度草木を大小、種類によって植え方が違うようなものだ。君子が人に教えるの道は(教わるものの程度を考えず徒に高遠なことを説いて)誣いくらましてよかろうか。はじめも終わりもある(すべて備わった)人は聖人だけである。(それ以外は小事から始めて大道に達するようにするのは当然だ。)”

論語の殆どの君子の説明が、君子はこのように振る舞う、という君子のあり方を述べているのに対し、ここでは”君子になるために勉強している人”への先生の指導法が述べられています。そもそも君子になるための勉強なんて変ですが、論語では君子は君主に仕えてその抱負を実行する、ということも含むめての人ですから、その道を学ぶ必要はあるでしょう。その君子になるには先生について勉強しなければならないとして、何をどう勉強するのでしょうか。上記の子夏のことばは論語の中に書いてある話ですから、当時勉強している儒者は、後世の儒者のように論語として纏まって編纂されたもの、およびその注釈本を勉強している訳ではないです。
私はこれまで儒者は論語を勉強する人と漠然と思っており、そうなると、その教科書がまだない時はどうしていたのだろう、何を考えのよりどころにしていたのだろうと改めて考えてしまいました。

しかし考えるに、論語によれば君子とはこのように振る舞う人である、というのが常々孔子が言っておられたのでしょうから、そのようには振る舞えない人に、孔子の弟子である儒者はこれら孔子の言葉を弟子に教える修行目標にして、この様に振る舞えるようになれ、と説いていたのでしょう。それなら力の無い人への入門教育がうわべの動作や応対の方法であってもおかしくはないです。また、行動指針として教えるならば教育を受ける方も理解しやすいと思います。

子張第十九の21に於いては
「君子之過也,如日月之食焉:過也,人皆見之;更也,人皆仰之。」
とあります。すなわち
“君子の過ちは日食、月食のようなもので誰もがそれを見るし、改めると誰もがそれを仰ぐ”
という訳です。君子も過ちを犯すことがあることを認め、学而第一8とか子罕第九の25で、「過則勿憚改」(過ちを犯したら速やかに改めよ)と説くのと同様のことと思います。

子張第十九の25、即ち最後の章の中には
「君子一言以為知,一言以為不知,言不可不慎也。」
なる言葉が出てきます。
“君子は一言で知者ともみられ、不知者ともみられるので、言葉を慎まなければならない。”
と言われているのです。しかしこれまでの論語の記述から、君子というからにすでに知者で言動に慎みのある人の筈で、ちょっと変な感じがします。一方、ここは子貢が孔子を敬って説明している部分なので、君子である孔子は、という意味になる筈です。でもここだけの文の意味を考えると、ここの君子は身分の高いあるいは影響力のある人という風にもとれると思います。




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2018年10月13日土曜日

論語(27); -君子と小人(xii)-

子張第十九の7に子夏の言ったこととして
「百工居肆以成其事,君子學以致其道。」
“種々の職人は仕事場にいて、それでその仕事を仕上げる。君子は学問してその道を完成する。”
があります。

肆(シ)というのは朱子によれば「官府造作之處」ということで、役所の器物を作る仕事だそうです。どうして君子に対して役所の器物で働いている人が挙げられるのかちょっと不思議です。お役所の官僚に対して生活のために下働きをしている人を対比させているのでしょうか?
肆については「市場」という解釈もあるそうです。この解釈だと市場で生活のため働いている一般人が君子に対してとりあげられていることになります。
君子の道の完成の中身についてはもう一度論語を全部読み直す必要がありそうですね。

子張第十九の8は珍しくも小人についてだけの記述です。
「小人之過也必文。」
これもまたしても子夏の言葉です。
“小人が過ちをすると必ずつくり飾ってごまかそうとする。
ということです。
論語では学而第一の8
「過則勿憚改」
“過ちがあったら(面目などにこだわらず)、速やかに改めるのがよい。”
あるいは衛霊公第十五の30
「過而不改,是謂過矣。」
“過ちを犯してその過ちを改めないのが本当の過ちだ”
とあり、過つことがあっても非を認めて改めるのが君子だと考えてきます。対して言い訳やごまかしをするのが小人となります。ここでは小人のことについて述べて君子のあり方を説明していることになります。
しかし非というのが誰にとっても自明なら上の議論は分かりやすいですが、自明でない場合については非を認めないのは本人が非と思っていない、ということもあります。そもそも理非曲直をわきまえることが君子のはじまりになりそうですね。

次の子張第十九の9では、また子夏の言葉ですが
「君子有三變:望之儼然,即之也溫,聽其言也厲。」
とあります。
“君子は(人に接する時)三つの変化がある。遠くから見ると厳然としている。(威厳がある。)近くに接してみると温和であり、その言葉を聞くと厳正さがある。”
ということです

君子は威厳があって人に侮られることなく、しかし人には穏やかに接する、というのが論語における君子の人へのあるべき対応の基本です。

この子張第十九は子夏のことばが続きますが、子張第十九の10もまたしても子夏で、
「君子信而後勞其民,未信則以為厲己也;信而後諫,未信則以為謗己也
“君子は(人民に)信用されてから人民を使う。信用されていないで使うと自分達を苦しめると思うからだ。(君主に対して)信用されてから諫める。信用されていないと自分を誹謗すると思うからだ。”

となっています。ここで出てくる君子は官途についた人をさすのでしょう。人民に信用されたあとで使う、君主に信用されたあとで諫言すると言うのは良いですが、その信用を得るためにはどうしたらよいのかはよくわかりません。論語で繰り返し述べられる君子の振る舞いをしていればよいのでしょうか?




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2018年10月8日月曜日

論語(26); -君子と小人(xi)-

子張第十九の3に子夏の門人が子張に、友と交わる道を聞いた話が出てきます。すると子張は逆に君たちの先生である子夏はなんといったのかと聞きます。門人たちは、交わってよい人なら交わり、良くない人なら遠ざかるように、と言われましたと回答します。これは子夏が孔子から言われていたことなのでしょう。すでに自分の先生に聞いているのだからなぜ、子張にわざわざ訊いたのかの事情は分かりません。
そしてその意見に対しての子夏の意見は、

「異乎吾所聞:君子尊賢而容眾,嘉善而矜不能。我之大賢與,於人何所不容?我之不賢與,人將拒我,如之何其拒人也?
つまり、
“自分の(孔子から)聞いたのとは違う。君子は優れた人を尊敬するが、一般の人々も受け入れ、善い人を褒めつつも駄目な人にも同情する。自分がとてもすぐれているならどんな人も包容でないことがあろうか。こちらが劣っているなら向こうがこちらを拒むだろう。どうして(こちらから)人を拒むことがあろうか。”

ということになっています。これも子張が孔子から聞いたことなのでしょう。
学而第一の8において
「無友不如己者
すなわち、“己(おのれ)に如かざる者を友とすること無かれ、”とあります。子夏の言に対応します。
一方同じ学而第一の6においては
「汎愛眾,而親仁
すなわち、“ひろく衆を愛して仁に親しみ”とあります。子張の言に対応します。

完成した君子ではなく見識の定まらぬ時は子夏の説いた振る舞いがただしく、完成した君子ならば子張の聞いた振る舞いもできるようになる、というところなのかと考えます。

次の子張第十九の4には子夏の言葉として
「雖小道,必有可觀者焉;致遠恐泥,是以君子不為也。
すなわち
“農、医、卜のような各種の技芸(小道)でも必ず見るべきものがある。ただ君子の道を遠くまで進もうとするものには、それに拘泥して邪魔されることがあろう。だから君子はそれをしないのだ。”
となっているのです。君子の道を極めるには余計な事に目を移すな、というところでしょうか。
ここで小道は朱子の論語集注で農、圃、医、卜が挙がっているのでそれに従えば上記のような解釈になります。なお圃と農の区別を私は良く知りません。
朱子の挙げたもの(現代では卜は別としても)を排除すると、空疎な道徳論を唱える道学者風の人が偉いということになりそうです。

小道を茶道、華道、囲碁、将棋のような技芸事を考えれば、納得できそうですが、それらでさえそんなに排撃すれば堅苦しいだけの人物になるのではないでしょうか。





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2018年9月29日土曜日

論語(25); -君子と小人(x)-

陽貨第十七にはあまり君子の話は出てきません。陽貨第十七の23
「君子義以為上。君子有勇而無義為亂,小人有勇而無義為盜。」
とあります。これは子路の質問
「君子尚勇乎?」(君子は勇をたっとびますか?)への回答で、
“君子は(勇よりも)義をたっとぶ。地位の高いものが勇があって義がなければ乱をなす。小人が勇があって義がなければ盗みを働く”
ということです。
ここの文には君子が二回出てきますが、一つ目は孔子の説く人の目指すべき姿である君子、二つ目は地位が高い人ということです
質問した人が子路なので、勇ばかりではだめと説いたのでしょうか。為政第二の24にある有名なことば
「見義不為,無勇也。」
(為すべき)義を見てなさないのは勇気がない”
が尤もな話で、勇気を欠いていて保身に走り、義を実践できないなら、君子たる要件を欠いていると言わざるをえません。孔子は勇はとても大事だと考えている筈です。

陽貨第十七の24に、子貢の孔子への君子も憎むことがあるのか、との質問への孔子の答えと、孔子の子貢へのお前も憎むものがあるかということへの答えがあります。
「子貢曰:「君子亦有惡乎?」子曰:「有惡:惡稱人之惡者,惡居下流而訕上者,惡勇而無禮者,惡果敢而窒者。」曰:「賜也亦有惡乎?」「惡徼以為知者,惡不孫以為勇者,惡訐以為直者。
“子貢が「君子も人をにくむことがありますか。」とたずねた。孔子は「にくむことはある。人の悪いことを言い立てるものをにくむ。低い身分で上役を悪くいうものをにくむ。勇気があるが礼節を知らないものをにくむ。決断力がありながら道理のわからないものをにくむ。」と答え、今度は子貢に「お前もまたにくむものがあるか。」と聞いた。子貢は「他人の考えや動静を窺うことをもって知だとしていることをにくみます。不遜傲慢をもって勇気とするのをにくみます。他人の秘密ごとを暴き立てて正直(せいちょく)を任ずるものをにくみます。」と答えた。”
君子たるものは、推察、闘争、暴露、摘発などというのが正義に根差すものでなくて、賤しいだけのことである場合を知っていなければならないし、そうしたことはしないものなのでしょう。いつの世にも通じる鋭い指摘と思います。

微子第十八の7に君子についての言及があります。
君子之仕也,行其義也。
“君子が使えるというのは(利禄のためばかりでなく)その大義を行うためである”
といっています。この章の全体はやや長くて、隠者との関わりの中で述べられています。子路が隠者に対して、(多分孔子の意を受けて)自分の身を清く保つために仕えないで暮らしていることを、大義を廃していることになる、と説いています。

君主に仕えて行政に関わるということが君子にとって、大義の実践なのだ、ということです。
孔子は、世を捨てて何も関わらず、積極的に義を行わず、責任をとらずにいることを決してよしとはしていません。俗世間で苦労してそれでも身を正しく行いを正しくする人を君子と考えています。
ただしこの章での相手の隠者は高徳の人として扱われています。






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2018年9月23日日曜日

論語(24); -君子と小人(ix)-

季氏第十六の6侍於君子“なることばが出てきますが、これは君子に侍する時の心掛けの話だし、君子というのも”目上の人“という意味合いのようです。

季子第十六の7
「君子有三戒:少之時,血氣未定,戒之在色;及其壯也,血氣方剛,戒之在鬭;及其老也,血氣既衰,戒之在得。
とあります。
“君子には三つの戒めがある。若い時は血気が定まらず、男女の色情について戒めなければならない。壮年期には血気が盛んで、争い戦うことを戒めなければならない。老年期になると血気は衰え、利欲を求めることを戒めなければならない。”

血気というのが分かるようでわかりません。色情、争い、利欲の追求の抑制という戒めはわかりますが、血気が定まらない時に色情に気をつけろとか、血気が衰えると利欲に迷うというのは何か違う、という感じがします。
朱子の「論語集注」には范祖禹がこの部分を論じたことが引用されています。すなわち、“血気は聖人と普通の人で異なることはなく、異なるのは志気である。血気は衰えることがあるが志気に衰えない。若い時は定まらず、壮年で強くなり、老いて衰えるのは血気であり、色を戒め、争いを戒め、利欲を戒めるのは志気である。君子は志気を養うから、血気に動かされず時を経て徳も高くなる。“というのです。
そういうことなのか、と一応は思いますが、論語の解釈としてそれが正しいのか疑問に感じます。

季氏第十六の8に君子と小人を比較した以下の言葉があります。
「君子有三畏:畏天命,畏大人,畏聖人之言。小人不知天命而不畏也,狎大人,侮聖人之言。
君子には三つの畏れ(はばかり)がある。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言葉を畏れる。小人は天命を知らないで畏れず(勝手に振る舞い)、大人の寛大さに狎れて失礼を働き、聖人の言葉を馬鹿にする。“

ここで天命は、古註では順吉や逆凶で運命のようなものだったらしいです。今、私が天命という言葉を聞いて思い浮かべるのもそうしたものです。新註では天が人やものに与えた正理なのだそうです。天からは運命を授かってしまうのですが、それは碌命で、もう一つ人の使命として授かる道徳、徳命があり、君子はそれを自覚し、実践するものである、ということらしいです。
確かに何者も恐れず、何をどう思おうと個人の勝手という考え方は、自分の好悪、利害の主張の正当化に結びつく危険があります。これでは確かに小人ですね。

季氏第十六の10には次の記述があります。
「君子有九思:視思明,聽思聰,色思溫,貌思恭,言思忠,事思敬,疑思問,忿思難,見得思義。
“君子には九つの思う事がある。視る時は見誤りなくはっきり見たいと思い、聴く時は誤りなく聴き分けたく思い、顔つきは穏やかでありたく思い、容貌はうやうやしくしたく思い、言葉は誠実でありたいと思い、仕事は慎重でありたいと思い、疑わしきは問うことを思い、怒りには腹立ちまぎれに対応したあとの後難を思い、利得に直面したら道義にかなったものであるかを思う。”

君子とは、慌てて粗忽な対応をしないよう、恨みを招かないよう全て慎重に振る舞う人、ということでしょうか。君子でなくても処世の仕方としてはそうあるべきでしょうね。





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2018年6月16日土曜日

論語(23); -君子と小人(viii)-

衛霊公第十五にはまだまだ君子についての記述があります。

32では
「君子謀道不謀食。耕也,餒在其中矣;學也,祿在其中矣。君子憂道不憂貧。」
とあります。“君子は道を得ようと苦心するが、食を得ようとはつとめない。食を得ようとして耕していても飢えることがあるが、学問をしていれば自ずから俸禄を得られるようになる。君子は道を得られないことを心配するが、貧乏することは心配しない。”と言っているのです。

一所懸命勉強すれば碌にありつけるというテーマは、為政第二18のやりとりと共通するところがあります。為政第二18はまず子張が碌を得るにはどうしたらよいか聞いています。
どうしたら俸給を貰える地位に就けるかとはきわめて世俗的な質問です。これに対する孔子の回答は、就職活動成功法ではなくて、むしろ地位を得たあとのふるまいに当てはまりそうなことを言っています。
結局回答は言動を慎重にせよ、ということになります。そして主君に疎んじられたり、上司、同僚から軽蔑されたり憎まれたりしないようにすれば碌は自然に入ってくるようになる、と孔子は言います。

この衛霊公第十五の32の説くところは為政第二18と異なり精神論的です。しかし私には二重の意味で納得いく回答とは思えませんでした。
一つは学問観が、為政第二の18同様に学問に努めることが俸給を得ることにつながる、という甚だ功利的なものであることになってしまうことです。しかもここで田んぼや畑で苦労しても不作で駄目な時は駄目になる、というのはそうでしょうが、それでは学問すれば、必ず道が得られるのでしょうか?
もう一つは現実に竹簡や木簡を読んで頑張ったとして、それだけで採用されて食べて行けるようになれるでしょうか。その他に自身の平素の行いが問題というかも知れません。しかし例えば顔回は、孔子が彼ほど学を好む者を聞いたことがない、とほめ、また一を聞いて十を知る、と感心しています。しかし四十で没するまで彼を招聘し、腕を振るわせようとした人があると聞きません。

一方で、君子たる者は貧乏を気にしない、と言います。そして貧乏を気にせず学問だけに努めるというのは否定されていません。だから顔回は否定されてはいないです。しかし自分一人だけならまだしも家族がいて生活に窮しては辛いと感じるのが普通です。

孔子の教えは、学問に努めなさい。努めれば、立派な人間になれ、その上よい職が見つかるかもしれない。しかしうまく行かなくても君子なら貧乏は苦にしない筈だ、ということになりますが、これでよいのでしょうか?

衛霊公第十五の34には
「君子不可小知,而可大受也;小人不可大受,而可小知也。
とあります。“君子は小さい仕事には用いられないが、大きい仕事を任せられる。小人は大きい仕事は任せられないが、小さな仕事にはつかえる。”
もし有能無能をいうならば、有能なら大きい仕事でも小さい仕事でも上手にこなし、無能なら、小さな事も大きな事も駄目だ、ということにならないでしょうか。


それともここでは君子は大きな仕事しかできない、ということに主眼があるのでしょうか。あるいは大きな仕事にしか関心のない人物なのでしょうか。そのどちらでも特に褒めるような話ではないと思うのですが。





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2018年6月2日土曜日

論語(22); -君子と小人(vii)-

憲問第十四の29では
「君子恥其言而過其行
と言われています。言う事が実践以上になることを恥じる、というのです。
現代ではそれほどの戒めの意味をもつでしょうか。現代人は自分の行いについて、あるいは徳性についてなにか偉そうなことをいうでしょうか。むしろ自分には厳しくなくて他人にも寛容、というだらしのない首尾一貫の方が心配になります。

憲問十四の44には子路の、君子についての繰り返しの質問に孔子が答えた説明があります。答の部分だけかけば
「脩己以敬。」「脩己以安人。」
初めの答えは“自ら修養して慎み深くすること”で、さらに聞かれると、自ら修養して人を安らかにすること“が答えになります。
子路がまだ納得できず質問すると、孔子は
「脩己以安百姓。脩己以安百姓,堯舜其猶病諸!」
“自分を修養して万民を安んずることは堯舜でも苦労したことだ”と答えます。3つ目の孔子の答は論点がずれており、問答としてはおかしいと思います。
またそう言われても具体的にどのように振る舞えばよいのか不明で、内容がない印象が残ります。

衛霊公第十五の7に
「君子哉蘧伯玉!邦有道,則仕;邦無道,則可卷而懷之
なる記述があります。“蘧伯玉(キョハクギョク)は君子だな。国家に道がある時は仕え(て国家の為に才知をあらわし)国家に道のない時は(才知)を懐に隠して世の中にあらわれない。”と言います。
この辺が孔子の態度の首尾一貫しないところで、君子は人を教化し、世に正しい道が行われるようにすべき、と言っているような時もありながら、一方でこのように道が行われなければさっさと政治から身を引いた方が賢いと言っている時もあります。

衛霊公第十五の18から23までは連続して君子についての言及があります。
18では
「君子義以為質,禮以行之,孫以出之,信以成之。君子哉!
で、“正義に基づいて、礼により実行する。謙遜な言葉で義を口に出し、誠実に義を完成させる”という意ですが、もっともなことですが、なかなか難しい要求ですね。
19では
「君子病無能焉,不病人之不己知也
で、“自分が能がないことを気にして、人のおのれを知らないことを気にしない”というのです。
しかし、本当に自分が至らない人間であることを心配している人が、世間の人が自分のことを知らないことを気に病むでしょうか?
20では
「君子疾沒世而名不稱焉
とあります。これは“死後に自分の名前の唱えられないことを悩みとする”という解釈もあり、“死ぬまで自分の名が世間に聞こえないことを悩みとする”という解釈もあるようです。
いずれにせよ、老荘思想ならば野にあって言いたい放題で、実質を問われないようにするけれど、儒者は基本的には政治に関わってその抱負の実現にむかわなければならない、というのでしょうね。
21では
「君子求諸己,小人求諸人
で、“君子はわが身に責任を求めて反省するが、小人は他人の責任として人に求める。”ということで、これはいつの世でも通じるわかりやすい教えですね。
22では
「君子矜而不爭,群而不黨
で、“君子は謹厳だが(和気を失わないから)争わない、大勢といても(阿りへつらう私情がないから)党派を作らない。”と言っています。
孔子の時代から、世の中そうではない人がごっそりいたのでしょうね。
23では
「君子不以言舉人,不以人廢言

とあります。“君子は言葉によって(立派なことを述べたとしても)人を挙げ用いたりしないし、言葉を言う人によって(徳がない、身分が低いなどで)それを捨てることはない。”ということです。上に立つ人はそうあってほしいものですね。






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2018年1月8日月曜日

論語(21); -君子と小人(vi)-

憲問第十四の6にも君子への言及があります。
南宮适(ナンキュウカツ)が孔子に、羿(ゲイ)は弓の名手、奡(ゴウ)(地上で)大舟を動かすほどの大力だったが、非業の死を遂げ、一方、禹(夏王朝の始祖)、稷(ショク、舜に仕え農業大臣になった。子孫が周の始祖。)は自ら耕していたが天下を得るようになりましたが、これはどういうことでしょうか、と問いかけます。
この問いかけに孔子は答えなかったのですが、あとで“君子だな。あの人は(力を重んぜず)、徳を尊ぶ。”とほめています。

次の憲問第十四の7において
「君子而不仁者有矣夫,未有小人而仁者也
とあります。即ち
“君子でも仁の道からはずれることがあるかも知れない。しかし小人なのに仁の道にかなう人はいない。”
ということです。
つまりここでいう仁者は君子の最高段階の完成した人ということになります。すでに君子として認められるのが大変なのですが、仁者なんてどこにいるのだ、という感じです。

憲問第十四の24には
「君子上達,小人下達
という言葉があります。
これはいろいろな説明がありますが、“君子は高尚なことに通じるが、小人は下賤なことに通じる”という解釈があります。これだと君子と小人(ii)に挙げた里仁第四の16
「君子於義,小人於利。」
つまり
“君子は正義に明るく、小人は利益にあかるい。”
と近い話になります。また別の意見に
“君子は道義に従って修養するから段々向上するが、小人は利欲に志して安逸に堕すから下落留まるところがない”
という説明もあるようです。こちらの方が学問に努め向上せよ、という含意があるようでよいですね。

憲問第十四の28
「君子思不出其位」
とあります。これは易経にあることばで、“君子は自分の職分以上のことは考えない”と説明されています。
しかし、それだと、何か問題を生じた時に、“それは自分の考えることではない、”あるいは“自分からは何も言えない”という逃げ口上に使えそうな感じですね。





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