2017年10月24日火曜日

論語(16); -処世の心掛け(v)-

泰伯第八の14
「不在其位,不謀其政」
とあります。
“その地位にいるのでなければ、その政務に口出しすべきではない。”
です。ここで”政”は政治向きに限らず”職”に同じです。
まったく同じ句が憲問第十四の27にあり、さらに憲問第十四の28に曾子の言葉として
「君子思不出其位」
すなわち
“君子はその職分以上のことは考えない。”
があります。
自分の管掌していること、部下のことなら指示したり、意見を述べたりは当たり前ですが、そうでないこと、といえば同僚、上司の職分です。人のことに口を出さない、とは確かに礼にかなうことです。のみならずにこれは禍を避ける意味があると思います。要らざる口出しを同僚、上司にして、不愉快な思いをさせては人間関係によいことはありません。俗世で人に立ち混じって仕事をするならば、こうした注意は必要と思います。
しかしこの態度は、一方においては理不尽なことがあっても黙っている、という保身の臭いがしないでもありません。これが気になるところです。

ただしこの言葉(君子思不出其位)易経の艮( 上下とも 卦に対応)の象伝に出てくることばです。易経によれば艮は静止した山で、静止し安定した山の姿にのっとって君子はこころを落ち着け、自分の地位を超えた欲心を起こさないように心掛ける、ということだそうです。この考えだと礼の道に従う、という大義は見えず、本当にただの処世訓になってしまいますね。

郷党第十には孔子の立居振舞の記述がいろいろあります。
すなわち具体的に動作について細心に気をつかっている様子が記述されています。たとえば郷党第十の3では
君召使擯,色勃如也,足躩如也。揖所與立,左右手。衣前後,襜如也。趨進,翼如也。賓退,必復命曰:「賓不顧矣。」
“主君のお召しで接待役を仰せつかった時は顔つきは緊張し、足取りはきざみ足で進んだ。一緒に接待役をされている係に挨拶するため両手を組み合わせ左を向き右を向いて揖礼をするが、その時衣の前後が良くそろって乱れない。小走りに走る時は肘を張って両袖が翼のように広がって美しい。賓客が退出すると、主君に復命して「お客様振り返らず(満足して)お帰りになりました」と言った。”
 となっています。

当時はお客は会見が滞りなく終わって出る時は振り返らないのが礼だったそうです。
また当時は諸侯同士の付き合い、儀礼訪問が頻繁にあり、大切な行事であったとのことですが、そういう場で礼議にはずれることを決してせず、粗相もなく安心して接待役を任せられる、という孔子の様子が述べられています。
この記述を見れば外交相手に対して礼を尽くすのみならす、主君、同僚に対しても細心の注意を払っていたことが分かります。その細心の注意が害悪、恥辱を避けるのに必要なことなのだと読む方は感じます。

郷党第十の4においても孔子の王宮に行った時の振る舞いについて、王宮の門を入るとき恐れ謹んではいる。主君の道である門の中央には立たない、敷居は踏まない、(門内の)君主の立たれるところを通る時は、(そこに主君がおられなくても)顔つきは緊張され、足も小刻みとなり、その言葉遣いは舌足らずのようであった。・・・といった調子です。当時としては踏むべき礼なのでしょうが現代人からみれば遠慮しすぎに見えますが。

もっとも孔子の立場から言えば八佾第三の18にあるごとく、
事君盡禮,人以為諂也
すなわち
“主君に仕えて礼を尽くすと、人はそれを諂いだという。”
ということになり、あくまでも自分が大切に思っている礼を守るためのものということになります。

たしかに孔子の態度にはそういう礼を尽くすということを大切にするという側面もあるとは思います。





歴史ランキング


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

2017年10月14日土曜日

論語(15); -処世の心掛け(iv)-

処世の術として読んであまり納得できない例もあります。

泰伯第八の13
「危邦不入,亂邦不居。天下有道則見,無道則隱。」
という記述があります。
“危うい国には行かず、乱れた国にはとどまらない。天下に道があれば表立って活動する。道のない時は隠れる。”
ということです。
処世の方法として勧めているのは、要するに“君子危うきに近寄らず”です。しかし乱れた、道のない国であるとどこから判定するかといえば、不当な冷遇にあい、左遷され、弾圧される人がいる、あるいは人民が満足に食べられない、刑罰が正しく行われない、重税である、などということなのでしょう。そしてそれは無能な君主がいること、あるいは君側の奸ともいうべき者の専横などが原因なのでしょう。

そういう状況で、不幸な目に遇う人々を見捨てて自分で畑でもやって静かに隠棲した方がよいというのでしょうか。

自分の振る舞いを注意して人の恨みを買うようなことをしない、敵を作らないというのは処世の道として理解できますが、安全第一で、人あるいは人々の難儀を見捨てることを奨励するとなると納得できません。

更に続きとして、
「邦有道,貧且賤焉,恥也;邦無道,富且貴焉,恥也。」
と書いてあります。
“国に道があるのに貧乏で、かつ身分が賤しいのは恥であるし、国に道がないのに金持ちで高い地位にあるのも恥である。”
これに問題を感じます。
この部分の後段はそうかも知れません。正義の通らず、悪人が勝手なことをしているような状況で、高位・高禄で安穏に暮らしているようでは良心に欠けるというものです。

前段はどうでしょうか。国に道義があって良い世の中なのに貧乏だったり、出世できなかったら恥ずかしいと思うべきなのでしょうか。

国がよく治まり道義が通っている状況なら、君主がしっかりしており、高位高官にはまともな人が就いて政務を処理しているのでしょう。そこで蓄えた学問を生かすために世にでて志を遂げよう、と活動を目指すのまではよいですが、それから先、本当に世に出られるかどうかは天命なのではないでしょうか。顔淵第十二の5の中で「富貴在天」、即ち富貴は天命で人力ではどうにもならぬものだ、と書かれていますが、こう考える方が真っ当だと思います。





歴史ランキング


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

2017年10月8日日曜日

論語(14); -処世の心掛け(iii)-

公冶長第五の2に
「子謂南容,「邦有道,不廢;邦無道,免於刑戮。」以其兄之子妻之。」
とあります。
“孔子が南容の人物を評して「国に道のあるときはきっと用いられ、道がない時に刑死することはない。」と言って、兄の娘を嫁にやった。”
南容は、先進第十一の6において「三復白圭」していたから、即ち白圭の詩“白き玉のきずはなお磨くべし。言葉のきずはつくろいもならず。”の句を何度も繰り返していたから、兄の子をめあわせた、とあります。南容は言葉を慎しむ人間であったのです。
だからよく治まる世では重厚な人として用いられ、無道な人が権力を握っても人から怨まれることがないから、そう簡単に死刑にはならない、と孔子に判断された訳です。
慎重な言動が尊ばれるのはここでも勧められています。宮仕えで簡単に命を落とす危険がある時代ですから道徳的であるほかに、無駄に命を落とさないための知恵でもあるように思われます。

さらに公冶長第五の5に
或曰:雍也,仁而不佞。」子曰:「焉用佞?禦人以口給,屢憎於人。不知其仁,焉用佞?」
とあります。
“ある人が雍は仁者だが弁才がないと評した。孔子が「どうして弁がたつ必要があろうか。口達者で人にまくしたてれば人に憎まれがちなものだ。彼が仁者かどうかは知らないが、どうして弁が立つ必要があろう。”
とあります。これはよく言えば佞人を嫌ったということでしょうが、口が達者ということは人に憎まれ、陥れられる元をつくるかも知れないのです。用心深く振る舞えという意味も込められているのではないでしょうか。

泰伯第八の4
「動容貌,斯遠暴慢矣;正顏色,斯近信矣;出辭氣,斯遠鄙倍矣。」
という記述があります。
わが身の振る舞いである容貌を動かすにあたっては、荘重にして礼にかなえば他人の加える粗暴わがままから遠ざかることができる。顔つきに誠意をあらわして礼を失わないと人から欺かれないことになる。言葉遣いが礼から外れなければ、いやしい道理に背いた人の言葉を遠ざけることができる。
上記の解釈は古註で、新註では、全部の主体は自分で、荘重にすれば粗暴でなくなる、顔つきに誠意あれば、誠実に近づく、のように取ります。
しかし、論語の説く方向性からいえば、礼を尽くし、人から無用な侮りを受けず、人から無用の恨み、憎しみをかわない、ということですから、古註の方がしっくりします。

これらのような言説はこの後の方にもさらにあるのですが、そうでもない教えもあります。

公冶長第五の21
「子曰、甯武子邦有道則知,邦無道則愚。其知可及也,其愚不可及也。」
とあります。
(衛の) 甯武子(ネイブシ)は国に道が行われていれば知恵者の働きを表した。国に道の行われない時は馬鹿者のように見えた。智者ぶりは真似ができるが、馬鹿者ぶりは真似ができない。“
甯武子は暗愚である成公をよく助けて地位を守るようにしています。よってここで馬鹿者のように振る舞うというのは、韜晦して災難に会わないようにする、というのではなく、一身の危急不利を顧みず、愚者のごとくして責任を果たしたとのことです。それでもついに彼は害に会わなかったのです。
そういうことができるなら、その方が口を噤んで身を引いてしまうよりずっとよいでしょう。身を引くのは悪を見逃すのですから。とは言え、手を出してもどうにもならず、結果はわが身を害しただけで悪は除けず、というのはもっと惨めなので、どこまでできるかの明察力次第なのでしょうか。

しかし論語の勧める身の処し方は、概ね徒に敵を作って害にあっては徳を広げることもできないからよく身を慎む、ということだと思います。





歴史ランキング


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

2017年10月1日日曜日

論語(13); -処世の心掛け(ii)-

学而第一の13
「恭近於禮,遠恥辱也;因不失其親,亦可宗也」
とあります。
“恭(うやうやしくすること)が礼に外れていなければ恥辱を受けない。親しむべき人を取り違えないならその人を尊敬してよい。”
というのも、処世のありかたとして尤もなことと思います。ただし日本語にしてみると少し変な文章です。前段は振る舞いに関する注意であり、後段は親しむ人を誤らない人を尊敬してよいといっていますので対応関係が悪いです。

馬鹿丁寧なだけではかえって礼にはずれ、人に侮られます。人から侮りを受けることをしてはならない、ということは論語の中でしばしば説かれます。
人を見る目がなくて人を選ばずに交際しては思わぬ災難に会うことがありえます。

為政第二の18の冒頭は興味深いです。
「子張學干祿」
です。子張が碌を得るにはどうしたらよいか聞いているのです。どうしたら俸給を貰える地位に就けるかとはきわめて世俗的な質問です。これに対する孔子の回答は、就職活動成功法ではなくて、むしろ地位を得たあとのふるまいに当てはまりそうなことを言っています。その回答は
多聞闕疑,慎言其餘,則寡尤;多見闕殆,慎行其餘,則寡悔。言寡尤,行寡悔,祿在其中矣」
です。
“沢山聞いて疑わしいところを除いて確かなことを慎重に言えば、過ちは少なくなる。多くのことを見て危ういことは避け、確かなことを慎重に行えば後悔は少なくなる。このようにふるまえば碌は自然に得られるものだ。”
です。内容は結局言動を慎重にせよ、ということになります。主君に疎んじられたり、上司、同僚から軽蔑されたり憎まれたりしないように、ということに尽きると思います。別に人としての振る舞いとして悪いことではないですが

里仁第四の12
「放於利而行,多怨」
とあります。自分の利益本位で行動すると人から怨まれることが多い、ということです。これは当たり前のことを一言述べたように見えますが、宮仕えの処世の重要な注意と読めないこともありません。即ち一時のわが身の私利私欲だけ考えて行動すると、人から怨まれて却って痛い目に遇いますよ、と聞こえます。
しかし動機はどうあれそれで私利私欲より正義、公正を目指せば人としてはそれでよいですが。

里仁第四の26
「事君數,斯辱矣,朋友數,斯疏矣
“君に仕えてあまりしつこくすると(うるさくすると)却って君から恥辱を受けることになる。友と交わってあまりしつこくすると却って疎んじ嫌われる。”

ここでは恥辱を受けるようなことを避けるべし、という論語の教えが出てきます。人とのつきあいの間合いを注意せよという教えで、尤もなことではあります。





歴史ランキング


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村