2017年10月1日日曜日

論語(13); -処世の心掛け(ii)-

学而第一の13
「恭近於禮,遠恥辱也;因不失其親,亦可宗也」
とあります。
“恭(うやうやしくすること)が礼に外れていなければ恥辱を受けない。親しむべき人を取り違えないならその人を尊敬してよい。”
というのも、処世のありかたとして尤もなことと思います。ただし日本語にしてみると少し変な文章です。前段は振る舞いに関する注意であり、後段は親しむ人を誤らない人を尊敬してよいといっていますので対応関係が悪いです。

馬鹿丁寧なだけではかえって礼にはずれ、人に侮られます。人から侮りを受けることをしてはならない、ということは論語の中でしばしば説かれます。
人を見る目がなくて人を選ばずに交際しては思わぬ災難に会うことがありえます。

為政第二の18の冒頭は興味深いです。
「子張學干祿」
です。子張が碌を得るにはどうしたらよいか聞いているのです。どうしたら俸給を貰える地位に就けるかとはきわめて世俗的な質問です。これに対する孔子の回答は、就職活動成功法ではなくて、むしろ地位を得たあとのふるまいに当てはまりそうなことを言っています。その回答は
多聞闕疑,慎言其餘,則寡尤;多見闕殆,慎行其餘,則寡悔。言寡尤,行寡悔,祿在其中矣」
です。
“沢山聞いて疑わしいところを除いて確かなことを慎重に言えば、過ちは少なくなる。多くのことを見て危ういことは避け、確かなことを慎重に行えば後悔は少なくなる。このようにふるまえば碌は自然に得られるものだ。”
です。内容は結局言動を慎重にせよ、ということになります。主君に疎んじられたり、上司、同僚から軽蔑されたり憎まれたりしないように、ということに尽きると思います。別に人としての振る舞いとして悪いことではないですが

里仁第四の12
「放於利而行,多怨」
とあります。自分の利益本位で行動すると人から怨まれることが多い、ということです。これは当たり前のことを一言述べたように見えますが、宮仕えの処世の重要な注意と読めないこともありません。即ち一時のわが身の私利私欲だけ考えて行動すると、人から怨まれて却って痛い目に遇いますよ、と聞こえます。
しかし動機はどうあれそれで私利私欲より正義、公正を目指せば人としてはそれでよいですが。

里仁第四の26
「事君數,斯辱矣,朋友數,斯疏矣
“君に仕えてあまりしつこくすると(うるさくすると)却って君から恥辱を受けることになる。友と交わってあまりしつこくすると却って疎んじ嫌われる。”

ここでは恥辱を受けるようなことを避けるべし、という論語の教えが出てきます。人とのつきあいの間合いを注意せよという教えで、尤もなことではあります。





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