2018年12月10日月曜日

論語(28); -君子と小人(xiii)-

子張第十九の12に於いて、
子夏聞之曰:「噫!言游過矣!君子之道,孰先傳焉?孰後倦焉?譬諸草木,區以別矣。君子之道,焉可誣也?有始有卒者,其惟聖人乎!」
という言葉が出てきます。

ことのはじまりは孔子の弟子である子游が「子夏の弟子は客の受け答えや動作についてはよいが、それは末のことだ。倫理の根本については何もない、これはどんなものだろう。」と言ったのを聞いた時の意見で、
“ああ、言游(子游のこと)は間違っている。君子の道はどれかを先に立てて伝えるとか、どれを後回しにして怠るというものではない。(門人の力に合わせて教えるまでだ)丁度草木を大小、種類によって植え方が違うようなものだ。君子が人に教えるの道は(教わるものの程度を考えず徒に高遠なことを説いて)誣いくらましてよかろうか。はじめも終わりもある(すべて備わった)人は聖人だけである。(それ以外は小事から始めて大道に達するようにするのは当然だ。)”

論語の殆どの君子の説明が、君子はこのように振る舞う、という君子のあり方を述べているのに対し、ここでは”君子になるために勉強している人”への先生の指導法が述べられています。そもそも君子になるための勉強なんて変ですが、論語では君子は君主に仕えてその抱負を実行する、ということも含むめての人ですから、その道を学ぶ必要はあるでしょう。その君子になるには先生について勉強しなければならないとして、何をどう勉強するのでしょうか。上記の子夏のことばは論語の中に書いてある話ですから、当時勉強している儒者は、後世の儒者のように論語として纏まって編纂されたもの、およびその注釈本を勉強している訳ではないです。
私はこれまで儒者は論語を勉強する人と漠然と思っており、そうなると、その教科書がまだない時はどうしていたのだろう、何を考えのよりどころにしていたのだろうと改めて考えてしまいました。

しかし考えるに、論語によれば君子とはこのように振る舞う人である、というのが常々孔子が言っておられたのでしょうから、そのようには振る舞えない人に、孔子の弟子である儒者はこれら孔子の言葉を弟子に教える修行目標にして、この様に振る舞えるようになれ、と説いていたのでしょう。それなら力の無い人への入門教育がうわべの動作や応対の方法であってもおかしくはないです。また、行動指針として教えるならば教育を受ける方も理解しやすいと思います。

子張第十九の21に於いては
「君子之過也,如日月之食焉:過也,人皆見之;更也,人皆仰之。」
とあります。すなわち
“君子の過ちは日食、月食のようなもので誰もがそれを見るし、改めると誰もがそれを仰ぐ”
という訳です。君子も過ちを犯すことがあることを認め、学而第一8とか子罕第九の25で、「過則勿憚改」(過ちを犯したら速やかに改めよ)と説くのと同様のことと思います。

子張第十九の25、即ち最後の章の中には
「君子一言以為知,一言以為不知,言不可不慎也。」
なる言葉が出てきます。
“君子は一言で知者ともみられ、不知者ともみられるので、言葉を慎まなければならない。”
と言われているのです。しかしこれまでの論語の記述から、君子というからにすでに知者で言動に慎みのある人の筈で、ちょっと変な感じがします。一方、ここは子貢が孔子を敬って説明している部分なので、君子である孔子は、という意味になる筈です。でもここだけの文の意味を考えると、ここの君子は身分の高いあるいは影響力のある人という風にもとれると思います。




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