2017年12月25日月曜日

論語(20); -君子と小人(v)-

子路第十三の3に君子への言及があります。ただしこの文は正名(名分を正しくする)、すなわち名と実を一致させることを重視する儒家の政治思想を説くのが主眼の文です。君子のあり方を説くことが主題ではありません。

さて子路第十三の23に有名な言があります。すなわち
「君子和而不同,小人同而不和。
“君子は道理に従って和合するが、付和雷同はしない。小人は雷同するが、道理に従って和合することはない。”
というのです。
左伝の昭公二十年に、斉の大夫晏平仲が斉公に向かって和と同を説明している話が出てきています。狩りから帰って斉公が梁丘拠と自分は和した、と言ったのに対し、晏平仲はそれは和ではなく同です、と言います。和というのは羹(あつもの)のようなもので材料の味の調和したものです。君臣でも同じで、君主が可と言っても否の部分があれば臣下は否の部分を減らして可をなさしめ、逆に君が否と言っても可があれば臣下は可を献じた上で否の部分を止めます。梁丘拠は君主が可と言ったら可、否と言ったら否であります。
これはなかなかわかりやすい例えと言えます。

子路第十三の25になかなか含蓄のある言葉があります。
「君子易事而難說也:說之不以道,不說也;及其使人也,器之。小人難事而易說也:說之雖不以道,說也;及其使人也,求備焉。
これは
“君子は部下として仕えるのは易しいが喜ばせるのは難しい。喜ばせるに道義によって喜ばせなければならないし、一方君子は人を使うには器量に応じてやるからである。小人には仕えにくいが喜ばすのはやさしい。喜ばせるに正しい道によらなくても(へつらいや利益で)よいが、小人が人を使うにあたっては部下に完璧を求められるからだ。”
これは人を使う立場の人は心すべき言葉と思います。

子路第十三の26
「君子泰而不驕,小人驕而不泰。
とあり、また述而第七の36
「君子坦蕩蕩,小人長戚戚。
とあります。
前者は
“君子はおちついていて威張らない。小人は威張って落ち着きがない。”
であり、後者は
“君子は平安でのびのびしているが、小人はいつでもこせこせとしている。”
小人は名利にこだわり齷齪とすごしている。一旦自分に都合がよくなるとわずかなことにも尊大ぶる。これに対し君子は名利にこだわらずのびのびと過ごしている。謙虚さがあるので無暗に威張らない。ということなのでしょう。
威張るとか威張らないとかを別にしても、わずかな名利にこだわり、齷齪過ごすことは明らかに愚かであることは分かっているのですが、人というものはなかなか悟りきれず焦ったり苦しんだりするものですね。

そうした愚かな考えを離れたら君子の資格があるのでしょうが、君子たりえるのは大変だとわかります。





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