2020年10月8日木曜日

漢書;外戚伝 第六十七上(6) -王皇后(i)-

 景帝の皇后となった薄氏には子供ができなかったのは前回書いた通りです。

しかし景帝には息子が14人もいました。すべて側室が生んだ訳です。そして薄氏の廃せられたあと皇后の空位時代がつづきました。景帝の時代に呉楚七国の乱がおきたのですが、そのあとで景帝は栗姫(リツキ)の生んだ栄を皇太子にたてました。栄は景帝の最年長の息子です。ならば皇太子を生んだ栗姫を皇后に立てたかというと立てませんでした。栗姫は非常にストレスがたまった訳です。誰かほかの女に気持ちが行ったのではと不安になったかも知れません。

 

ここで外戚伝 第六十七上(3)の竇皇后(i)に登場した竇皇后の長女である(館陶長公主)が登場します。彼女は景帝の姉です。これが禄でもない小姑で、景帝に次から次への女の子を紹介します。一方では嫖は女の子がいたのですがそれを栄の太子に押し付けようとします。ここで競争相手を次々に送り込んでいる長公主(=館陶長公主)に腹をたてていた栗姫はこの話を断ります。これが失敗でした。この時代ですから、名目上の御妃様にして、本当に寵愛するのは別の女、ということができないわけではなかったのに拒絶したのです。そのことがあとに災いをもたらします。

 

ところで景帝の跡継ぎとなる武帝を生んだのは王夫人(のちの皇后)です。武帝が太子になる過程ではどろどろした女の争いが絡んでいます。

王夫人の父は王仲(オウチュウ)、母は臧児(ゾウジ)でした。臧児は一男二女を生みました。王仲が死ぬと田氏と再婚し男子二人を生みました。

ところで臧児の長女は金王孫という者の妻になり一女を生みました。そのあと漢書にはこんなことが書いてあります。

而臧兒卜筮曰兩女當貴,欲倚兩女,奪金氏。金氏怒,不肯與決,乃內太子宮。

小竹さんの訳によれば

“臧児が占ったところ、娘は二人とも貴い身分なるはずだというので、この二人にたよろうと思い、長女を金氏から奪い返した。金氏は怒って、離別を承知せず、そこで(長女を)太子(のちの景帝)の宮に入れた。”

というのですから驚きです。怒って離婚を承知しないのを無視して娘を東宮に入れたというのですが、どういう縁故でそんなことができるか不思議ですし、こんな話で大人しく母親の言いつけに従った娘も現代人の感覚からは不思議です。

臧児の目論見が当たって太子はこの王仲の長女を寵愛し、三女一男が生まれます。男の子を身ごもったとき王氏は太陽が懐に入った夢を見て太子に話したそうです。これを聞いて太子は“此貴徵也。(それは貴い徴だ)”と言ったそうです。皇帝になる子を生む前に妃が、太陽がお腹に入った夢を見た、という話はいくらも出てくる話です。このころすでにその手の話は一般に流布していて、もしい男の子なら後継ぎに相応しいと王夫人は訴えたかったのかも知れません。のちの後宮での暗闘のゴングを鳴らしたみたいですね。

そして王夫人は男の子の出生するのですが、出生前に太子の父の文帝が亡くなり、太子は景帝として皇帝の位を継ぎます。それでもすでに栗姫の生んだ栄が皇太子ですから、王夫人の生んだ子は太子になれる訳ではありません。栄が引きずりおろされるのですが、それには長公主と王夫人が関与します。




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