昔、三国志演義で禰衡(173-199)に関する記述を初めて読んだときに、彼がどのような意味をもつ人間なのか理解できませんでした。曹操やその配下のものに失礼な態度をとったのですが、どういうつもりでそうしたのでしょう。中国では曹操を罵倒した故に人気がある、という説明を読んだことがあります。どうでしょうか?
禰衡は漢室に忠義であるが故に曹操に憤懣をぶちまけたわけでもなさそうでした。したがって曹操に対して謀反を企むなどということもありませんでした。
結局黄祖に殺されてしまうのですが、彼は何をしたかったのでしょうか?歴史でどのような役割を果たしたのでしょうか?なんとも不思議な印象をのこしました。
当時曹操は劉表を帰順させたいと考え、張繡(チョウシュウ)を説得に行かせようと考えていたところでしたが、賈詡が
「劉景升好結納名流。今必得一有文名之士往說之、方可降耳。」
と言います。つまり
“劉表は名士と誼みを結ばれるをを好む方ゆえ、今度は是非文名の聞こえ高い方が説得にいかないと降りはいたしますまい。”
です。要するに劉表は文化人好きで、インテリぶりたがる人なのでしょう。
そこで曹操が荀攸にこころあたりを聞くと、荀攸は孔融を推薦します。そして荀攸が依頼にゆくと孔融は禰衡がよいといって、天子あてに禰衡の推薦文を書きます。この推薦文は「禰衡を薦(すすむ)る表」として文選にもある歴史に名高い名文です。
小川環樹さんの訳本ではこの文の訳出は省略されていますが、立間祥介さんの訳本には訳出されています。
この推薦文の内容は、禰衡は目にしたこと耳にしたことを忘れない人で、かつ忠誠で善
を薦め、悪を憎む立派な人間であるということが縷々説かれています。これを読めば
禰衡はどんなに立派な人なのか、と思うくらいです。
そして天子は曹操に推薦文を下げ渡し、曹操は禰衡を召し出します。この対面が不思議です。
「帝覽表、以付曹操。操遂使人召衡至。禮畢、操不命坐」
“帝はこれをご覧になり、これを曹操に下げ渡された。曹操は人をやって禰衡を呼ばせた。挨拶が終わったが、曹操は着座せよとはいわない。”
これで早くもこじれ出します。
これは、この物語りの不自然さです。話の流れでは、曹操は推薦された才能のある文化人との評判が高い(らしい)禰衡を劉表への使者として使う予定だったはずです。これを呼び出しておいて、いきなり相手を侮辱するなら曹操は何をやっているのか分からなくなります。
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