2015年6月8日月曜日

史記 白起・王翦列伝 第十三 王翦(2)

ここから先、ある意味でいかにも史記的な話が出て来ます。彼は出陣のときから始皇帝にほうびをねだります。このなかでまず、彼は次のように訴えています。
「為大王將,有功終不得封侯,故及大王之向臣,臣亦及時以請園池為子孫業耳。」
野口さんの訳では
”大王に将軍たるものは、いくら戦功がありましても侯に封ぜられる見込みはありません。ですから、大王の御心が臣に寄せられております間に、臣も機を失わずに園池を請願し、子孫の財産をつくっておきたいと思うだけです。”
察するに当時の秦の制度では封建制度のように、有力な家臣が自分の知行地を得てそこからの上がりで子孫までゆったりとくらす訳にはいかず、普通には王に使われている間だけ、俸給がいただけるシステムのようです。これではサラリーマンと同じで御用済みになれば収入はとだえ、老後の生活に窮する危険があるわけです。
私財として農奴付きかも知れない園地を得ることは可能ですが、商才があって自分で資産として得るか、宮仕えなら別途君主にお願いして、君主の恩恵として与えてもらうというところなのでしょうか。

強く褒美をお願いするもうひとつの理由が書かれています。ある人が、将軍のおねだりは度を越している、と言ったのに対する回答として出てきます。
「不然。夫秦王粗而不信人。今空秦國甲士而專委於我,我不多請田宅為子孫業以自堅,顧令秦王坐而疑我邪?」
”そうではない。あの秦王は粗暴(上の引用で粗と打ちましたが立心偏)で人を信じない。いま、秦国内の武装兵を空にして、もっぱら私に委ねているのだ。その私が野心のないことを示すために、田畝・宅地を多く貰い受けたいと請うて、子孫の財産をつくりみずからの地位を固めようとでもしないと、却ってたちまち秦王にわたしを疑わせることになるのではないか。”
ということだそうです。
史記流の人の意表をつく洞察のように見えます。

王翦のこのエピソードは漢の蕭相国世家のなかで謹厳実直で人望のある蕭可に対してある人が注意した話を思い出してしまいます。
その人は”あなたの位は相国であり、功績は第一位であり、この上何を加えることができましょうか。あなたが関中に入ってから、十余年にわたり人心を掴んでいる。その上なお孜々として民の和をはかっている。陛下(高祖劉邦)があなたの動向を問われるのは、あなたが関中を傾け動かしはしないかと恐れるからです。”と言って、蕭可に沢山の土地を安く買い占めてみずからを汚し、高祖を安心させることをすすめ、蕭可はそれに従います。そして高祖を喜ばせます。
専制君主に仕えるときの問題は秦の始皇帝でも漢の高祖でも類似の危険があり、対策として自らを汚すことも有効ということでしょうか。
でも始皇帝に疑われないためにおねだりを繰り返す、あるいは高祖に疑われないようにするのに、不正に土地を安く買い叩くのは本当にベストなのでしょうか?自分ならこの対策も身を滅ぼす原因になりそうでやる度胸もありません。だからそんなに出世しないのかも知れませんが...




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