次に袁紹は冀州の乗っ取りをやります。前に冀州に逃げたと書きましたが、そこが彼の本拠地であったということではないのです。袁紹は董卓征伐の兵を渤海郡から挙げています。そして一方冀州の牧であったのは韓馥(カンフク)という男でした。
当時公孫瓚(コウソンサン)という者が、董卓征伐を名目として冀州に侵入します。本音は韓馥襲撃です。韓馥は臆病でうろたえます。そこにつけこんで袁紹は人をやって韓馥に、“冀州を袁紹に献上してしまえば、公孫瓚も争うことが出来なくなるし、また袁紹を敵に回さなくてすむようになって安泰”と説得させます。韓馥はなんとその気になったのです。臆病風に吹かれてこんな話に誑かされる韓馥も情けない男です。当然反対する配下の人間が出て来ましたが、韓馥は頑として聞き入れず冀州を袁紹に献上してしまいます。
この乗っ取りについては「英雄記」に次のような話がでてきます。
袁紹配下の逢紀(ホウキ)が袁紹に以下の策を進言します。
(袁紹が)董卓征伐の挙兵をしながら一州も支配していないなら身の安全も保たれないでしょう。そこで公孫瓚に南方に向かい冀州を攻略するよう仕向けます。これにより(冀州の牧の)韓馥を恐怖に陥れることができます。そこで使者を韓馥にやって冀州を袁紹に献上させれば身の安全が図れる、と説かせます。そうすれば韓馥はそれを聞き入れ冀州を献上するでしょう。
という具合に説きました。袁紹がこの策を聞き入れたというのです。
こんなにうまく筋書通り行くかと疑問もありますが、このような筋書きのもとに冀州を乗っ取ったなら、袁紹はなかなかの能力を持った男であると言えます。
正史には沮授の袁紹への進言が書かれています。
(袁紹は)北へ奔って渤海郡を服従させ、冀州を取り、すでに名声は天下にとどろいています。これから青州を平定できるだろうし、黒山の賊である張燕を滅ぼせるし、北方の公孫瓚も滅亡させられるでありましょう。蛮族をふるえあがらせれば匈奴も服従するでしょう。冀州、青州、幽州、幷州の地域を併合し、人材の心をつかみ、天子を長安より移して(漢朝を)洛陽に再興して天下に号令すれば手向かう者などどこにおりましょうか。数年も経たないうちに難なくこうした功業が樹立されましょう。
というのです。実際このような活動を袁紹はしたのですから(天子を差し挟んで天下に号令するところまでは行かなかったですが。)、この進言は将来を見越した出来すぎの献策です。そして袁紹はこうしたことが出来る程度には優れた人材といえましょう。歴史 ブログランキングへ
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