2013年10月6日日曜日

三国志演義、三国志 蜀書 関張馬黄趙伝第六 黄忠(2)



しかし、それからあとの黄忠は大活躍をします。益州を劉備が取るときの黄忠は正史によれば
自葭萌受任、還攻劉璋。忠、常先登陷陳、勇毅冠三軍。」
とあります。井波さんの訳では、
“葭萌(カボウ;地名)より任を受けて、引き返して劉璋を攻撃した。黄忠は常に真っ先駆けて陣地を落とし、その勇敢さは三軍の筆頭であった。”
です。
このあたりの正史の記述に対応するのは、三国志演義では第六十二回「涪関を取りて、楊・高首を授(ワタ)し、雒城(ラクジョウ)を攻めて黄・魏功を争う」から、第六十三回、第六十五回にわたって述べられています。

第六十二回では、黄忠は魏延がそれぞれ鄧賢、冷苞と戦い、どちらが先に相手を破るかの競争になります。魏延が黄忠の軍の出発時間をこっそりしらべ、黄忠よりも早く出発し、まず冷苞を打ち破り、その上で鄧賢を打ち破ってすべて自分の手柄にしようとします。しかし、冷苞は手筈を整えて待ち伏せし、その上に鄧賢に挟み撃ちされます。危なかったところをあとから来た黄忠に助けられます。この時鄧賢は黄忠に殺されますが、冷苞はのがれます。しかし魏延の待ち伏せに遇って捕えられます。これは最初の失態で軍令違反の罪は逃れられないと考えた魏延が残兵をかき集めて、冷苞をとらえて申し訳にしようとしたものです。

第六十三回の雒城攻略の際も魏延が前後から挟まれた時に、黄忠が助けます。
更に第六十五回で黄忠は李厳と激しく戦います。

しかし何と言っても彼の最も華々しい手柄は定軍山で夏侯淵を斬ったところです。正史によれば
建安二十四年於漢中定軍山、擊夏侯淵。淵衆甚精、忠推鋒必進、勸率士卒、金鼓振天、歡聲動谷、一戰斬淵、淵軍大敗。」
です。井波訳によれば、
”建安二十四年、漢中の定軍山において夏侯淵を攻撃した。夏侯淵の軍勢は非常に精悍であったが、黄忠は鉾を突きたて、あくまでも進撃し、率先して士卒を励まし、鐘と太鼓は天を振わせ、歓声は谷を動かすほどで、一度の戦闘で夏侯淵を斬り、夏侯淵の軍は大敗北を喫した。”
となっています。この戦いは戦略的に重要な意味をもち、これに勝利することにより劉備は漢中を手に入れ、漢中王になることができるのです。よって黄忠は非常な大手柄を立てたことになります。





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