2013年10月13日日曜日

三国志演義、三国志 蜀書 関張馬黄趙伝第六 黄忠(3)



三国志演義では定軍山で夏侯淵を斬り大勝利を得る話に前段がついています。第七十回「猛き張飛 智もて瓦口(ガコウ)の隘(カン)と取り 老いし黄忠 計もて天蕩山(テントウサン)を奪う」の物語で、すでに大活躍の始まりです。ここでは魏の将軍張郃が張飛や黄忠の引き立て役になります。

張飛がまず張郃の軍をさんざんに打ち破り瓦口關(ガコウカン)を取ります。張郃は自分から張飛をやっつけると言って出かけてボロ負けになったので、総大将の曹洪にひどく怒られますが、殺されずに済み、葭萌關(カボウカン)の攻撃に向かわさせられます。

このとき、この攻撃の相手をするのは黄忠と、黄忠に副将として付けられた厳顔です。張郃の軍とぶつかってこれを打ち破ります。曹洪はまた負けたのかと怒り、張郃を処罰しようとしますが、諌めるものがあって、夏侯尚、韓浩(黄忠(1)に出てきた韓玄の弟)に張郃の助力兼見張りをさせることにします。ところが、この張郃、夏侯尚、韓浩の軍は黄忠にボロ負けし、兵糧飼料を蓄えている天蕩山(テントウサン)を守っている夏侯徳のところに行きます。張郃はそこで固く守り黄忠の進撃を食い止めようと提案します。しかし急追撃して来た黄忠を韓浩は迎え撃ち、黄忠に斬られます。さらに夏侯徳も搦め手から攻め寄せた厳顔に斬り捨てられます。
仕方なく張郃と夏侯尚は天蕩山を放棄して夏侯淵の守る定軍山に逃げます。

ここで法正が劉備に、今が漢中を奪取する絶好の機会で、漢中をとれば進んでは兵を養い天下を窺うことも、退いては守るにも好適であると説きます。

この漢中攻略という戦略的に重要な戦いに劉備はみずから、兵十万を率いて漢中に向かい。葭萌關に至ります。定軍山が戦略的要衝でここを奪う必要がありますが、ここでまたしても黄忠が選抜されます。

この時、諸葛亮が口を挟みます。定軍山を守る夏侯淵はすぐれた将軍で、荊州へ関羽にでてもらうべきと言い出します。そこで黄忠は年寄り扱いされたと起こります。諸葛亮は法正を付けるから相談してやってほしい、と言い黄忠に承知させます。

あとで諸葛亮は劉備に説明します。すなわち
「孔明告玄德曰、    
『此老將不着言語激他、雖去不能成功。他今去、須撥人馬前去接應。』」
です。
“あの老将軍には強く言ってやらないと大功を立てませんからな。出かけたからには、早速加勢をおくらなければなりません。”
ということです。加勢をおくれ、というのはよいですが、演義の話の中で黄忠が敵を侮って失敗したとか、年の所為で息が切れてだめだったとか一切ないのですから、“強く言ってやる必要”がなぜあるのかは納得できない話です。





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