老子の伝では最初の紹介のあと、孔子が礼について老子に教えを受けようとしたことについての記述が続きます。そもそもここで「礼」とは何だと気になります。今の日本人が礼で思い浮かべるのは、お辞儀や御礼、儀式、礼儀作法の事だと思いますが、(当て推量ですが、)どうもそれとはニュアンスが違って、「礼記」に含まれるような「制度」「服喪」「祭祀」「吉例」などのもろもろのことみたいな気がします。
ところが、老子が孔子の先輩とするのは無理がある、という説があります。たとえば小川環樹さんは中公文庫(昭和48年第三版)の「老子」の中で次のように議論します。老子を第一代とかぞえると、史記にかかれているもっとも後の子孫の解は第九代になる。解が太傅として仕えた膠西王は呉楚七国の乱に加わり、紀元前154年に殺されている。一世代の長さは平均30年であるから、老子はBC154+30x9=BC424年ころに生まれたと推定される。
では孔子はいつ頃の人か?小川さんはこの解説でははっきり述べていませんが、普通はBC552-BC479のように言われています。ということは老子は孔子よりずっと若い訳です。古代ですから一世代が20年位かも知れません。そうなると老子はもっと新しい人になってしまいます。
孔子が老子には会っていない、となると史記に折角かかれている孔子への忠告が絵空事になってしまってちょっと残念です。孔子への言は老子の思想をよくあらわしていると思います。
まず冒頭部分で老子は
「子所言者,其人與骨皆已朽矣,獨其言在耳。」
と言います。ただしここのところの訳は野口さんと貝塚さんで異なります。
野口さんによれば(平凡社 中国の古典シリーズI 史記 昭和47年)
“そなたがいうところの古の聖賢などというものは、人と骨がすでに朽ちてしまって、ただ空言が残っているだけだ。”
なります。すなわち“昔の偉い人(聖賢)はすべて肉体が朽ち果ててしまった。そして空疎な言が残っているだけだ”ということでしょうか。
一方貝塚さんによれば(中央公論社 世界の名著 司馬遷 昭和53年10月)
“君の問題としていることばは、それを発言した当人はその骨といっしょにみな朽ちはててしまった。ただことばが残っているだけである。”
こちらの訳は残念ながら日本語の体をなしていません。主旨を考えると、前段は“あなたの有難がっている”ことば”は、発言した人の肉体が朽ち果てたと同様朽ち果ててしまった。”だと思います。その後にくっついた“ただ言葉が残っているだけである。”は、意味のない(内容のない残骸としての)言語が残っている、ということなのでしょうか。
原文から推察するに野口さんの訳に分がありそうです。
肉体が亡んでしまうのは当然です。一方どのような言葉を吐いても空疎である、というのは自明に真とは見えません。
素人判断で、ユークリッド幾何学の公理が、空間が曲がっていない、という要請を課しているように、老子の世界で採用された公理の一つに、言葉を遺してもそれは空疎なものになる、という要請を入れているのではないかと思っています。この主張のままではしかし、言っている老子の言葉自身も空疎になってしまいそうです。
禅でも同じような矛盾にぶつかっていると思います。仏法の大意を述べようして言葉を発したとたんにそれは虚なものになる、という主張に万言を費やしていたりします。
そんな思想に中味などない、と決めつけて背を向けてしまってもよいのでしょうが、何か気になる要素を孕んでいるようにも見えます。
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