2015年1月2日金曜日

史記 楽毅列伝 第二十(4)


恵王の手紙に対する楽毅の返事は長いものです。
この伝の末尾で司馬遷は、斉の蒯通(カイトウ)と主父偃(シュホエン)は楽毅の燕王(恵王)への返書を読むたびに書を閉じて泣かないことはなかった、と記しています。

しかしよく読んでみると初めの部分は意味が微妙にわからないです。
冒頭は
「臣不佞,不能奉承王命,以順左右之心,恐傷先王之明,有害足下之義,故遁逃走趙。」
となっています。貝塚さんの訳では

”それがしふつつかながら、ご命令を奉じて側近諸公の意に従いえざりしゆえんは、(御父君の見こまれたるそれがしが処刑されれば)御父君の聡明さに傷がつき、貴殿の御父君に対する道義的責任にも害をおよぼすことを恐れたからであって、さればこそ趙に亡命したのであります。”
となっています。括弧で補った部分は訳者が入れたものです。

これに対して野口さんの訳では

”わたくしは不才で、王命を遵奉し、側近の方々のお心に順うことができず、先主のお眼鏡を傷つけ、あなたのお徳義をそこなうのではないかと恐れましたので趙に出奔したのであります。”
です。

貝塚さんの訳では、王様(恵王)の命に従って、側近にいる諸公の意を満たすことができなかったのは、お父様(昭王)の聡明さに傷がつき、子供である恵王の道義も傷つけることになることを心配したからです。それゆえ趙に逃げました、ということです。
このままでは論理に飛躍があり、括弧で’処刑される危険がある’となっています。
ざっくり言ってしまうと、自分は処刑されそうであった。処刑されたら、先王の面子も潰れるし、子供の恵王も父の用いた臣を殺すという、道義的に問題のある行為をすることになる。だから逃げた、という説明です。

野口さんの訳では、自分は才がないので、恵王の命を遵奉し、恵王の側近の心に順うことができなくて、その結果先王(昭王)の眼鏡を傷つけることになり、恵王の徳義をそこなうのではないかと心配して出奔しました、となります。
こちらは、自分が才がないから恵王の下で十分な仕事もできない、その結果自分を用いた先王の面子をつぶし、先王の用いた楽毅の不才を明らかにした恵王にも(父の権威を傷つけて)徳義がないことになってしまうので逃げた、となります。

回答するなら野口さんの訳の方が無難に見えます。でもそれだと、なんで昭王の時は仕事ができて恵王ではだめになるのかの理由が必要です。あなた(恵王)は難しい人だから、自分はあなたの気に入るようにはできない、と言っているようでもあります。
また側近がなぜここに出てくるのでしょうか?問題なのは恵王と楽毅の関係なのに奇異に感じます。

次の部分は
「今足下使人數之以罪,臣恐侍御者不察先王之所以畜幸臣之理,又不白臣之所以事先王之心,故敢以書對。」
です。貝塚さん、野口さんの訳はほぼ同じです。貝塚さんの訳を挙げれば
”いま、貴殿は使者をつかわして、その罪を責められた。おそらく側近諸公は、御父君がそれがしに恩寵をかけられた理由を洞察せず、それがしが御父君に仕えまつった心情を理解されないであろうことを懸念いたします。そこで、あえて書簡をもっておこたえ申すしだいです。”
となります。
ここでまた側近が出てきます。先王と楽毅の関係について考えもせず、理解もしていないのは恵王ではなくて側近なのです。このあとの本論ではもう側近は出てきません。
側近を持ち出すのは恵王を直接非難するのをはばかったのでしょうか?それとも楽毅を讒言する側近がいて恵王がその側近のいうことを聞く、と暗にいっているのでしょうか?
”だから(故に)書簡を以って答える”、という論理もこのままでははっきりわかりません。会えば捕らえられて殺されるから手紙にする、といっているようですね。
以上は前置きで、これから本論に入って行きます。





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