「漢書」の中から
漢書は小竹武夫さんの訳(筑摩書房)で読みました。
その中でまず印象に残ったのはこの”古今人表第八”です。太古から漢の前にいたる間に現れた人物を上の上
(聖人)、上の中(仁人)、上の下(智人)、中の上、中の中、中の下、下の上、下の中、下の下(愚人)に分類して、名前を列記しています。班固の歴史上の人物の査定表です。
上の上(聖人)は14人ですが、堯、舜のような伝説上の人が多くて、私の理解する限りは実存したのは、周の文王、武王、孔子(仲尼と書いてあります。)くらい です。上の上(聖人)特別席ですね。
上の中(仁人)のグループでも私の知らない人の方が多いのですが、幾人かの知っている人がいます。その一人が蘧伯玉です。立派な人で、孔子も尊敬していたらしいですね。
ちょうど自分が五十歳の時、「年五十にして四十九年の非を知る。」という蘧伯玉の言葉を読んで愕然としたのを覚えています。嫌な言葉を読んでしまった、という思いもありました。しかしそれは自分にとっては一時の愕然でした。
そのままうかうかと時を過ごし、六十になって現役を去る時に、何気なく本を読んでいたら「蘧伯玉、行年六十にして六十化す。」の語があり、蘧伯玉は六十年
の間に(いつも反省して)六十回変化した、蘧伯玉は五十九年の非を悟ったのだと説明してありました。今度はがっくりきました。折角忘れていたのに、また出
てきたのです。
仕方ないので、会社を辞める時のあいさつで、五十九年の非を悟るということを身に染みて感じた、と述べました。
蘧伯玉は向上を続けて、歴史に名を残し、上の中にランクされたのですが、自分も含め世間普通の人はその言葉を理解しても生かすことは難しいですね。
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