2013年6月28日金曜日

漢書;公孫弘卜式児寛第二十八



公孫弘の伝記は、漢書では卜式および児寛と一緒に「公孫弘卜式児寛第二十八」に入っています。史記とかぶるのばかり扱っていますが、史記では公孫弘の伝記は「平津公・主父列伝第五十二」にはいっています。平津公というのが公孫弘です。

大器晩成というのでしょうか、四十過ぎになって「春秋」と「雑家の説」を勉強したそうです。もっとも「春秋の雑説」という書き方をしている人もあり、これが儒家、法家、墨家、名家、道家が入り混じった「雑家の学」なのだそうです。手に入る書物をこつこつと独学したのでしょうか。
貧しくて豚を買って暮らしていたというから、四十歳過ぎまで生活に追われていたのでしょうね。この紙のない時代に、お金がないのにそれでも学に志すというのは立派な心がけというものです。

武帝が即位した時、賢良・文学の科の士を招いたのですが、この時六十歳の公孫弘が選抜されました。当時の六十といえば大変な老人の筈です。しかしまもなく匈奴に使いして、その報告が武帝の気に入らず、無能と決めつけられたので辞職して国に帰ったとあります。

普通ならばあとは故郷で豚を飼って余生をおくって終わりです。
しかし六年後に彼は復活します。菑川国で公孫弘を推薦したのです。公孫弘は辞退したにも拘わらずです。もう六十六歳なのに、なにか人に期待させるものがあったのではないでしょうか。

ここで天子の下問に答案を書かされたのですが、その答案は席次は下位だったのです。しかし天覧に供したら武帝を喜ばせ一番とされたのです。史記にはこの下問の文章も、公孫弘の答も出ていませんが、漢書には長々と出ています。簡単にいえば下問は「上古の時代は風俗が正しく、人民の行いも正しく、瑞祥が現れてよかった。(今はそうでもない。)どうしたら今もそのようにできるか。天と人の関わりあう道は何に基づくか、吉凶の効験はどうしたら期することができるのか。」で、公孫弘の回答はおよそ以下のような事です。「上古は天子自身が率先し身を正し、民を遇するに信があったからです。能力によって官職につき、徳のあるものが進み、功のあるものが上に立つ、という人選の原理と、無用の言葉を去り、無用の器を作らせず、民の時を奪わないようにする、行政指針と、罰が罪に相当し、賞が賢労に対応させる賞罰の正当性があればうまく行きます。(そのあと礼、気、仁、義などについて美辞麗句をならべて議論しています。)」
質問も回答も空疎に見えるのですが、回答で建前を上手に飾って述べる文飾技術が儒者的な公孫弘の能力とみえます。
公孫弘はみてくれも立派に見えたようです。
あとは処世術が巧みで、天子(武帝)の前で直接自己主張をせず、天子に決めさせるように仕向けたり、奏上して裁可されない時に、公の場では争わず、あとで汲黯という者と一緒にこっそり天子のところへ行き、汲黯に提案を言わせて自分はそれを支持して天子に言う事を聞いてもらった、というのはよく知られています。臣下みんなで話がついていた事を、公に持ち出して天子が反対したら、あっという間に寝返ってしまった例もあるそうです。
しかし一方において、事績を見るに、天子にお世辞を使ってあきらかに不埒なあるいは愚かなことを勧めたようにはみえません。汲黯は公孫弘に不平があったかも知れませんが、硬骨漢の汲黯だって提案施策自体には賛成だったものを政策として推進したのです。
つまり主君が怒らないように、摩擦の無いように事を進めただけ、と言えます。

また、彼は個人の生活は質素で、権力を笠に着て私腹を肥やしたりはしませんでした。

これではしかし君主の信頼が厚くても、失政がなくても、私生活上の疵がなくても、どうも癪に触って憎む、という人もでてくるでしょうね。曲学阿世と罵る人が出たのも尤もな事です。司馬遷なども人間として高く評価していませんでした。実は陰険なことをしていたと謗っています。しかし、その彼でさえ公孫弘が私利私欲とは無縁の人であったことは認めています。

公孫弘は平和な時代の専制君主に仕える宰相としては有能だったのではないでしょうか。
争臣なるものは、裏表がなくて誠意があってかっこいいかも知れませんが、(時には命をかけて)天子と争ったという事実が残るだけで、施策は何も実行されなかったかも知れません。
公孫弘はその当時においては合理的である施策を、天子に呑みやすいように、そして自分に身の危険が及ばないように話をオブラートにつつみ、天子に呑ませて必要な施策を実行に移せたのではないでしょうか。

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2 件のコメント:

  1. 大変興味深く拝見しました。面白かったです。私は、卜式さんに興味があり、この記事に当たりました。ありがとうございました。

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  2. コメントをいただいて一年以上経ってやっときづきました。初めてコメントいただきました。ありがとうございます。お返事が大変遅れてすみません。

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