2013年6月30日日曜日

漢書;王莽伝第六十九(1)



王莽伝は小竹武夫さんの訳では上、中、下の三つに分かれています。とにかく王莽伝は長くて、訳註も膨大になり読みやすさの便宜を考えて訳者が分離したのでしょうか。

他の人に比べて伝記が長いからと言って班固に尊敬されている訳ではありません。班固は王莽の人柄を否定的に描いています。

王莽伝が長い原因の一つは美辞麗句の上奏文、詔、言説の引用が多い所為もあると思います。それらは古来の中国の習慣に倣い、ふんだんに過去の事例、過去の文献になぞらえ、自己の主張の根拠、正当性を述べています。
逆に、詔、奏上、言説などは主旨だけを書き、起こったことを記述して、強いて読みたい人は後ろにその言いぐさの全訳を付けたから参照せよ、としていただけたらとても読みやすくなると思います。

王莽は元帝の皇后の甥(皇后の弟の子供)ですから、潜在的には今を時めく王家の余禄にありつけるチャンスは十分です。但し彼の場合、彼の父(元后の弟)は列公にならないうちに早く死んでしまったので従兄弟たちが、親の七光りで車馬、音楽、女色を楽しんでいるのに、自分は孤児で貧乏という不遇な環境だったのです。
しかし、評判というのが大事な世の中で、彼の立場ならば上流社会の間でよい評判を得るように努力すれば、名声を上げるのは、門地、財産が無い全くの田舎の青年に比べたら比較にならないくらい有利です。

彼はかなりわざとらしいことをやりますが、不思議なことに偽善家と軽蔑されず、それが通ります。厚顔で押し通したらなんとかなったのです。

なにしろ本家の伯父の王鳳が亡くなった時は、看病のためずっと床に侍し、髪は乱れ、顔は垢だらけ幾月も着物を脱ぐことが無かったといいます。その結果、王鳳の遺言のお蔭で彼は黄門郎に任命され、さらに射声校尉に進むことができたとのことです。

一方では世間の評判を上げるために奇異な行動を恥ずかしげもやり、他方では政敵は罪に落として誅殺されるようにして出世しました。
「おのれに附き順う(したがう)者は抜擢したが、逆らい恨むものは誅滅した。」とありますから怖い人ですね。

どんなところにも人柄の卑しい人間はいるもので、王莽の意を汲んで、王莽が出世したり王莽の権力が拡大するようにと奏上し、表向きは王莽が遠慮するが、さらに押して、結局そうなり、奏上した自分も王莽の引きでうまい汁が吸える、と言うことが着々と実践されます。

陳崇という大司徒司直の地位にあった者が、張竦という博学の男と仲が良かったのですが、この男に頼んで王莽の功労徳沢をたたえる上奏文を代作してもらってこれを奏上しています。文庫本での訳でおよそ十ページにもわたっていかに王莽の功績が大きくて、王莽が立派な人間であるかを古代の偉人の事績と対応させて、たらたらと述べ、地位をあげよ、名誉を与えよと提案しています。ゴマすり文書の代表例です。
これは当時の摂政の太后(王氏。当時の平帝は子供)に提出されていますが、太后に読んで貰いたいのではなくて、むしろ王莽に読んでもらいたいから作られた文章です。

こんな歯の浮くような称賛(王莽に対してお世辞たらたら)の文章など出したら、普通なら却ってその上奏の心根を上司に見すかされ、蔑まれそうです。しかし王莽は、書いた人間を蔑むのでもなく、そいつに向かって注意することもありません。この陳崇の上奏文の場合は太后からみんなに下げ渡され、評議にかけられるのですが、別の事件が起こり、記述はそちらの方に行ってしまいます。
しかし、こうした文章が上奏される、ということが王莽の人柄を表しています。王莽が高潔な人なら、こんな上奏文書いたら、蔑まれて却って損してしまいます。

王莽とはそういう人だった、としか言いようがないですが、それ故に王莽に取り入って自己の出世を図ろうという人が沢山ついて来たし、王莽自身もそれによって首尾よく権力を握り出世をするという構造ができ上がったのでしょうか。

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