三国志演義の第三十七回は「司馬徽再ビ名士ヲ薦メ 劉玄德三タビ草廬ヲ顧ミル」で、有名な三顧の礼の場面が描かれています。劉備が諸葛亮を”三回尋ねた”という事実については、諸葛亮の出師表に 「先帝臣ノ卑鄙ヲ以テセズ、自ラ枉屈シテ三タビ臣ヲ草廬ノ中二顧ミ、臣ニ諮ルニ当世ノ事ヲ以テス」 とありますので、間違いありません。
しかし三国志演義に書かれている関羽張飛を伴っての訪問で諸葛亮の友人に会う逸話は根拠がなく、フィクションです。
ところで、その第三十七回に詩がいくつも出てきます。そしてそのうちには臥龍(諸葛亮)が作ったというものが出てきます。
一つ目は数人の農夫が畑仕事をしながら歌っていたもので、
蒼天如圓蓋、陸地似棋局。(蒼天ハ圓蓋(車のかさ)ノゴトク、陸地ハ棋局ニ似タリ)
世人黑白分、往來爭榮辱。(世人ニ黒白ノ分カチアリテ、往來シテ榮辱ヲアラソエリ)
榮者自安安、辱者定碌碌。(榮ウル者ハ自ズカラ安安(ヤスラカ)ニ、辱メラレル者ハ、定メテ碌々タラン)
南陽有隱居、高眠臥不足。(南陽ニ隠者アリ、高眠シテ臥(フ)セドモナオ足(ア)カズ
であり、劉備が誰の作か訊くと臥龍先生がつくったもの、と農夫は答えます。
もう一つは諸葛亮の舅が口ずさんた以下の詩です。
一夜北風寒、萬里彤雲厚。(一夜北風寒ク、萬里 彤雲(ユキグモ)厚シ)
長空雪亂飄、改盡江山舊。(長空ニハ雪乱れて飄(ヒルガエ)リ、江山ノ舊(スガタ)改メ盡セリ)
仰面觀太虛、疑是玉龍鬭。(面ヲ仰(ア)ゲテ太虛(ナカゾラ)ヲ觀(ナガ)ムレバ、疑ウラクハ是レ玉龍ノ闘フカト)
紛紛鱗甲飛、頃刻遍宇宙。(紛紛タル鱗甲飛ビ、頃刻(タチマチ)ニシテ宇宙ニ遍シ)
騎驢過小橋、獨歎梅花瘦!(驢ニ騎(ノ)ッテ小橋ヲ過ギ、獨リ歎ズ梅花ノ瘦セタルヲ)
舅は劉備に対して婿の作った梁父吟だと説明します。
三度目に劉備が訪問して来たとき諸葛亮は寝ていたのですが(これは第三十八回の話です。)、昼寝から覚めて
大夢誰先覺?(大夢誰カ先覚ム)
平生我自知。(平生我自知ル)
窗外日遲遲。(窗外ニ日ハ遲遲タリ)
と口ずさみます。この老荘的詩については諸葛亮が作ったとは演義の中にも書いていないです。正式の記録のも諸葛亮がこんな詩を作ったことは出てきません。
明代の張溥(チョウフ)の諸葛丞相集に詩が引用されています。これも梁父吟だそうです。
歩出斉城門(歩シテ斉城門ヲ出デ)
遥望蕩陰里(遥ニ蕩陰里ヲ望ム)
里中有三墳(里中ニ三墳有リ)
纍纍正相似(纍纍トシテ正ニ相似タリ)
問是誰家墓(問ウ是レ誰ガ家ノ墓ゾ)
田彊古冶子(田彊ト古冶子ナリ)
力能排南山(力ハ能ク南山ヲ排シ)
文能絶地紀(文ハ能ク地紀ヲ絶ツ)
一朝被讒言(一朝 讒言ヲ被リ)
二桃殺三子(二桃三子ヲ殺ス)
誰能為此謀(誰カ能ク此ノ謀ヲ為ス)
相國斉晏子(相國斉ノ晏子)
しかしこれは実は諸葛亮自作かどうか疑わしく、むしろ土地の民謡と考えられるものだそうです。
となると、三国志演義にでてくる梁父吟も諸葛亮作かは疑問で、その前の農夫が歌っていたものも含め、いずれも土地に伝わっていた歌らしいということになります。
正史の諸葛亮伝第五に
「亮、躬畊隴畝、好爲梁父吟。亮、躬畊隴畝、好爲梁父吟。」
とあります。井波さんの訳では
”諸葛亮はみずから農耕にたずさわり、好んで「梁父吟」(隠者のうたう歌)を歌ってくらした。”
となっています。諸葛亮が詩を作ったとは言っていません。
北方の魏では建安文学が華やかで、建安七子が代表です。曹操や子供の曹丕、曹植も詩人だったので三曹七子とも言われるそうです。
一方諸葛亮の書いたものについては、後に「三国志」を書くことになる陳寿が勅命により、「諸葛氏集」を編んでいますが文章は政治、軍事、法律等にわたる実務の文章です。詩文はありません。
有名な「出師表」は宋代の科挙のための模範的文章を集めた、謝枋得の「文章軌範」にも挙がっています。更に明代の鄒守益が篇した「続文章軌範」には出師表のみならず、後出師表も挙がっています。さりながら出師表は諸葛亮自身文学的価値をめざして表現を工夫したというよりは、己が意を飾る事なく、誠意をもって(文学を理解しないかもしれない普通の)人に説くべく真情を吐露したものと考えられています。
北方の魏では建安文学が華やかで、建安七子が代表です。曹操や子供の曹丕、曹植も詩人だったので三曹七子とも言われるそうです。
一方諸葛亮の書いたものについては、後に「三国志」を書くことになる陳寿が勅命により、「諸葛氏集」を編んでいますが文章は政治、軍事、法律等にわたる実務の文章です。詩文はありません。
有名な「出師表」は宋代の科挙のための模範的文章を集めた、謝枋得の「文章軌範」にも挙がっています。更に明代の鄒守益が篇した「続文章軌範」には出師表のみならず、後出師表も挙がっています。さりながら出師表は諸葛亮自身文学的価値をめざして表現を工夫したというよりは、己が意を飾る事なく、誠意をもって(文学を理解しないかもしれない普通の)人に説くべく真情を吐露したものと考えられています。
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