2014年1月1日水曜日

三国志演義、三国志 三少帝紀第四(1)



魏書三少帝紀第四にある魏末の三少帝は、皇帝として何も為しえなかった三人(斉王、高貴郷公、陳留王)の記録です。

まず、三国志演義を見てみます。ここでは、この三帝の話は、まさに因果応報という形で語られます。簒奪者(曹氏)の子孫である皇帝が、曹操が後漢の献帝に対して為したような残酷な行いを、簒奪者(司馬氏)から受け、これを見て憤慨し、何とか皇帝に力をかそうとする忠臣が命を落とすことが描かれます。

三国志演義によれば第一百九回の「困司馬漢將奇謀 廢曹芳魏家果報」にあたるところ
です。この題の二つ目の句の立間祥介さんの訳は“曹芳廃されて魏家に報果(むくい)
さる。”です。曹操が(皇帝を)廃されたのは、過去の報いだと言っているのです。
 
司馬懿の子供の司馬師と司馬昭が力を伸ばし、魏の朝廷で横暴な振る舞いをします。
ある日、朝廷で司馬師が皇帝である曹芳(もと斉王だった。曹操を初代とすれば四代目
の皇帝。)を全く無視して政務を執行します。曹芳は非常に怒り、悲しみ、司馬師が退
出したあとに残った夏侯玄、李豊、張緝と協議します。
そこで司馬師、司馬昭追討の詔を出すという事になりますが、そこで曹芳が張緝に言い
含めた言葉が面白いです。
「朕祖武皇帝誅董承、蓋爲機事不密也。卿等須謹細、勿泄於外。」
即ち、
“武帝(曹操)が董承を誅されたのは機密が漏れたからである。卿等も注意して必ずも
らしてはならぬぞ。”
です。
これは過去に、後漢の献帝の臣下の董承らが、詔を頂いて、当時力を伸ばして専横の振る
舞いのある曹操を除こうとしたのが発覚し、曹操により関係者が三族もととも殺されたよ
うな事が再び起こらないか心配しているのです。
 
自分(曹芳)の三代前の曹操が、曹操を取り除こうとした漢の献帝の忠臣を親族もろとも
皆殺しにしてしまったが、それは秘密が漏れたからだから注意せよ、というのです。漢の
献帝の立場に、今度は自分がなっていることを認めての言葉です。
 
しかし結局すぐに見破られて夏侯玄、李豊、張緝、および彼らの三族が皆殺しになります。
以前に董承他の忠臣が曹操に三族皆殺しにされたのと同じ結果になりました。この時の皇
后は張緝の娘だったので、引きずり出されて絹で縊り殺されますが、これと対応して前の
例では曹操により献帝の夫人(董貴妃、董承の妹)がやはり縊り殺されています。
 
なお、過去に曹操のやったことは第二十三回と第二十四回にでてきます。第二十四回の題
は「國賊行兇殺貴妃 皇叔敗走投袁紹」であり、前の方の句の立間さんの訳は“国賊凶を
行って貴妃を殺し”となっています。
 
因果応報はとにかくとして、これを次回は正史で見てみます。 





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