前々回の張飛伝(7)に於いて、“さりながら厳顔の部下に堅く守って向こうの崩壊を待つ方がよい、と助言する者があり、”と書きましたが、この助言は重要な内容を含みます。
詳しく書くと、その者のいう事には、
「彼軍無糧、不過一月、自然退去。更兼張飛性如烈火、專要鞭撻士卒。如不與戰、必怒。怒則必以暴厲之氣、待其軍士。軍心一變、乘勢擊之、張飛可擒也。」
です。即ち、
“彼の軍は兵糧不足です。(堅く守って取り合わなければ、)一か月もたたぬうちに、自分から退却いたしましょう。そればかりか、あの男は気性がはげしく、何かといえば兵を鞭で打ちます。こちらが取り合わずにおけば、きっと腹を立て、自分の兵にむごくあたりましょう。そうすれば兵士らも心変わりし、そこにつけこんでこれを撃てば張飛を虜にできます。”
というのです。
ここで言われているような張飛の部下の扱いについては、類似の話が正史の張飛伝で劉備の言葉の記述の中にもみられます。
「…飛、愛敬君子而不恤小人。先主常戒之曰「卿、刑殺既過差。又日鞭撾健兒、而令在左右。此、取禍之道也」飛猶不悛。」
という部分です。
井波さんの訳では
“(関羽が兵卒を厚遇したが、士大夫に対しては傲慢であり、)張飛は君子(身分の高い人)を敬愛したが、小人(身分の低い人)にあわれみをかけることはなかった。先主はいつもこれを戒めて「君はあまりにも刑罰によって人を殺し過ぎる上に、毎日兵士を鞭で叩いている。しかも彼らを側近に仕えさせているが、これは禍いを招くやり方だぞ」といっていたが、張飛はそれでも改めなかった。”
となっています。
訳文では君子と小人という言葉について、わざわざ君子は身分の高い人、小人は身分の低い人と括弧で註がなされています。論語でいう君子、小人とは違うようです。
張飛は、軍規を乱した、命令通り実行しなかった、約束の日時までに用事ができなかった、到着が遅れた、などの理由で部下を安易に斬ったのでしょう。
その結果、最後に張飛は部下に暗殺されることになります。
彼はいわゆる読書人ではなかったでしょうが、字は読めたし書物も読んだ筈です。また筋道の通った議論もできたはずです。三国志で字をろくに知らない大将も出てきまが、字を知らないことがわざわざ言及されています。呂布の主人だった丁原、あるいは蜀の将で王平などです。
しかし三国志の列伝にでてくる殆どの大将達は基礎的教養はある人達です。張飛もその一人だったでしょう。
そして張飛は自分の属する階級の人には丁寧だったのですが、下位のものには情け容赦なかったようです。
するとどんな人が見えてくるでしょう。頭はきれて、作戦も的確、攻撃の指揮も積極的な猛将で当時の誰からも恐れられていた。呂布のように変な野心はなく、劉備に対して忠節で裏切りをするようなことはない。彼は上の人には礼儀正しく、下の人には厳しかった。
つまり、どちらかというとあまりなじめない人のイメージが出てきます。
実際上は、上司として張飛を使うのなら、当てにできる有能な大将ですし、部下として戦争にくっついていくなら、怖くても戦に強い将軍が指揮を執ってくれて勝ち戦になる方が、少々やさしくても無能で負け戦になるよりよっぽどマシです。
しかし物語の登場人物としてはあまりなじめません。
張飛については、三国志演義のように無教養な乱暴者で、しかし義理堅い人間として張飛を描いた方が、一般の人の人気が保てるから、そのようになったのだろう、と思います。
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