2013年11月26日火曜日

三国志演義、三国志 蜀書 関張馬黄趙伝第六 張飛伝(8)

張飛は一計を案じます。 兵士にたきぎ、柴刈りをさせつつ山路を調べさせます。そしてある日、兵士は陣で厳顔を罵倒していた張飛に、部下が巴郡を抜ける抜け道が見つかった、と言ってきます。

張飛はわざと大声で「そんな道があるなら、なぜ早く言わない。」と言い、早速間道を抜ける用意をさせます。
 実は厳顔も張飛の様子がおかしいので、自分の兵に張飛の兵と同じ服装をさせて紛れ込ませていたという記述があります。だから、張飛の間道を抜けようする作戦は厳顔が知ることになります。

しかし張飛からみて、厳顔が自分の計画を知るだろうと期待するためには、張飛は厳顔が間者を張飛の軍にまぎらこませたことを知っていないといけません。しかし張飛は知っていたとはどこにも書いていません。張飛が知らなかったのならこれは計略にもなりませんから張飛は自軍に厳顔の間者が入ったことを知っていた、ということを暗黙の了解として話はすすみます。

 なお、兵隊が「巴郡を抜ける抜け道が見つかった。」と上に書きましたが、この部分は 「這幾日打探得一條小路可以偸過巴郡」 で、立間祥介さんの訳では、
 “このほど人知れず巴郡を通り抜けることのできる間道を見つけ出してございます。”
 です。
一方小川環樹さん、金田純一郎さんの訳では、
 “この何日かの間に巴郡への抜け路が見つかりましてございます。”
 です。
張飛が押し寄せたのは巴郡のはずです。だから、小川さん、金田さんの、”巴郡への抜け路”が見つかった、という訳は変で、立間さんの、”巴郡を通り抜ける間道”が見つかったというのが正しいと思います。

さて、厳顔は張飛が巴郡を通り抜ける間道を行こうとするのを知り、間道に兵を出して、逆に張飛の罠にはまりとらえられます。とらえられてからのやりとりは正史と同じです。 こう書けば、この部分は普通の話になりますが、この間ずっと張飛は常に無暗に腹を立て、罵詈雑言を吐いているごろつきのような人として描写されています。




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