張飛の官位の話で張飛伝では、
「先主從曹公破呂布、隨還許、曹公拜飛爲中郎將」
となっています。
“先主が曹公に従って呂布を破り、ともに許に帰ると、曹公は張飛を中郎将に任命した。”
ということです。
中郎将は比二千石という身分で、比のつかない二千石である司隷校尉や郡太守よりちょっ
と下ですが立派な身分と言えましょう。つまり立派に評価されていた訳です。
次に張飛伝に出てくる話は当陽長阪での殿を勤める話です。
三国志演義の方では趙雲が獅子奮迅の働きで劉備の子、阿斗を救い、従包囲を抜けて長
阪橋まで来たのですが、人馬ともに疲れ切っていました。この時の趙雲と張飛のやりと
りは以下の通りです。
「見張飛挺矛立馬於橋上、雲大呼曰、『翼德援我!』飛曰、『子龍速行!追兵我自當
之!』」
“張飛が鉾を小脇にして橋の上に馬をとめている姿をみて、趙雲は大声で「翼徳助けて
くれ」と言います。張飛は「子龍早く行け。あとは俺が引き受けた。」”
しかし、演義にあるような(どうみても不可能な)趙雲の活躍はなく、長阪橋での趙雲
と張飛の出会いはありません。正史では張飛はわずか二十騎をつけて殿を任されたので
す。しかも橋は切り落としてあります。すなわち、
「使飛將二十騎、拒後。飛、據水、斷橋、瞋目橫矛曰「身、是張益德也。可來共決死!」
敵皆無敢近者、故遂得免。」
井波さんの訳では、
“張飛に二十騎を指揮させて背後を防がせた。張飛は川をたてにして橋を切り落とし、
目をいからせ矛を小脇にして「わが輩が張翼徳である。やってこい。死を賭して戦おう
ぞ」と呼ばわった。誰も思いきって近づこうとはせず、そのため先主は助かった。”
となっています。
なぜそれでなんとかなったのでしょう。曹操の将兵が川を渡るのを逡巡したのはなぜだろ
うか、という問題が残ります。
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