2013年11月17日日曜日

三国志演義、三国志 蜀書 関張馬黄趙伝第六 張飛伝(4)



張飛の官位の話で張飛伝では、
先主從曹公破呂布、隨還許、曹公拜飛爲中郎將」
となっています。
“先主が曹公に従って呂布を破り、ともに許に帰ると、曹公は張飛を中郎将に任命した。”
ということです。
中郎将は比二千石という身分で、比のつかない二千石である司隷校尉や郡太守よりちょっ
と下ですが立派な身分と言えましょう。つまり立派に評価されていた訳です。
 
次に張飛伝に出てくる話は当陽長阪での殿を勤める話です。
三国志演義の方では趙雲が獅子奮迅の働きで劉備の子、阿斗を救い、従包囲を抜けて長
阪橋まで来たのですが、人馬ともに疲れ切っていました。この時の趙雲と張飛のやりと
りは以下の通りです。
見張飛挺矛立馬於橋上、雲大呼曰、『翼德援我!』飛曰、『子龍速行!追兵我自當
之!』」
“張飛が鉾を小脇にして橋の上に馬をとめている姿をみて、趙雲は大声で「翼徳助けて
くれ」と言います。張飛は「子龍早く行け。あとは俺が引き受けた。」”
 
しかし、演義にあるような(どうみても不可能な)趙雲の活躍はなく、長阪橋での趙雲
と張飛の出会いはありません。正史では張飛はわずか二十騎をつけて殿を任されたので
す。しかも橋は切り落としてあります。すなわち、
 
使飛將二十騎、拒後。飛、據水、斷橋、瞋目橫矛曰「身、是張益德也。可來共決死!」
敵皆無敢近者、故遂得免。」
井波さんの訳では、
“張飛に二十騎を指揮させて背後を防がせた。張飛は川をたてにして橋を切り落とし、
目をいからせ矛を小脇にして「わが輩が張翼徳である。やってこい。死を賭して戦おう
ぞ」と呼ばわった。誰も思いきって近づこうとはせず、そのため先主は助かった。”
となっています。
なぜそれでなんとかなったのでしょう。曹操の将兵が川を渡るのを逡巡したのはなぜだろ
うか、という問題が残ります。 





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