2013年11月5日火曜日

三国志演義、三国志 蜀書 劉彭廖李劉魏楊伝第十 魏延(3)

諸葛亮の最後の頃には、魏延を嫌いつつあったのかも知れません。
それは諸葛亮が病気で自分の余命がいくばくもないのを知って楊儀、費禕、姜維に(魏延抜きです)自分の死後の撤退の指示をあたえていることから推察されます。さらに
「令延斷後、姜維次之。若延或不從命、軍便自發。」
と諸葛亮は指示しています。
“魏延には敵の追撃を断たせ、姜維にはその前を生かせ、もし魏延が命令に従わない場合には、軍をそのまま出発するように命じた”
というのです。これは魏延にとってはきつい内容です。

一方魏延は、魏との戦いを自分が継続するつもりで、費禕と共同で居残りと撤収の部隊をわけて諸将に告示しました。
しかし、これは諸葛亮の指示に違うことですから、費禕は口実を設けて楊儀の方へ逃げてしまいました。

魏延は諸軍営が次々に帰還を始めたのを知り、怒り、先回りしをして、通過先で吊り橋を焼き落としています。すなわち蜀の軍の進軍路、輸送路を壊しているのです。ここに至っては、もう彼は何をやっているのか自分でも分からなくなっているのではないでしょうか。

魏延は楊儀が謀反をしたと上奏しますが、楊儀も魏延が謀反したと上奏します。しかし平素の言動がたたって、蜀の宮廷にいた董允、蔣琬は楊戯の言い分に肩をもちます。

魏延は先回りして南谷口に陣を敷いていたのですが、楊儀は山の木を切り開いて強引に戻ってきて魏延と退陣します。
この対戦には魏延に無理があります。一般兵士がどの程度事情を理解していたかはわかりませんが、配下の諸将からみれば、楊儀と魏延の私怨に基づく闘争の側面があることは見えている筈です。

そして、今回諸葛亮の指示に従って撤退しているのは楊儀、費禕、姜維などです。彼らはいったん引き揚げれば諸葛亮の命令通りになります。魏延のやっていることは正当性が乏しいです。勝手に兵を構えて楊儀と喧嘩をしようとしているだけです。正当性が乏しい私怨による闘いとなれば、下にいる部下の士気はあがりません。命をかけて戦って死ぬのも嫌です。

即ち
「延士、衆知曲在延、莫爲用命、軍皆散。延、獨與其子數人逃亡、奔漢中。儀、遣馬岱、追斬之。」
“魏延の士卒は、非は魏延にあるのを知っていたから、命令に従う者はなく、軍兵はみな四散した。魏延は取り残されて息子たち数人と逃亡し、漢中に出奔した。楊儀は馬岱に追跡させて彼を切り殺させた。”
ということになります。
そして魏延の三族も誅殺されてしまいます。






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