2013年11月23日土曜日

三国志演義、三国志 蜀書 関張馬黄趙伝第六 張飛伝(7)



さて厳顔との関わりを三国志演義でみれば次の回に記述があります。
第六十三回 諸葛亮痛哭龐統 張翼德義釋嚴顏
しかし、正史と異なり張飛はもっと程度の悪い人間に描かれます。諸葛亮と張飛
は同日に別の進軍路で出発しますが、張飛と別れるときに、諸葛亮は、蜀には剛の
者が多いので敵を軽んじてはならない、軍律を厳しくして、領民から物をとったり
して民心を失なわぬよう、むやみに兵士を鞭で打ったりしないこと、などとその辺
の乱暴者にするような注意をあたえます。
別の進軍路を任せられるような将軍とは思えぬあつかいです。
 
そしていよいよ蜀へ侵攻します。
途中降伏した者には危害を加えず、巴郡に至ります。太守は厳顔です。これが万夫
不当の強者で降参しないというのです。人をやって向こうに口上を伝えるように指
示します。
 
與老匹夫、早早來降、饒你滿城百姓性命!若不歸順、卽踏平城郭、老幼不留!
 
即ち
“おいぼれにそう言え。早く降参しろ。すれば城じゅうの住民の命を助けてやる。もし帰
順しないというなら、即座に城を踏みつぶし、老幼一人も生かしておかないぞ。”
です。諸葛亮から敵を侮るな、と言われたのにこの始末です。
それを聞いた厳顔も乱暴で
『匹夫怎敢無禮!吾嚴將軍豈降賊者乎!借你口與張飛!』喚武士把軍人、割下耳鼻、
 却放回寨
“「下郎めが、無礼な奴だ。この厳将軍が敵に降参すると思うか!お前の口から張飛にそう言え」と、その兵士の耳と鼻を切り落とさせて陣へ帰らせた。”
という有様です。


さりながら厳顔の部下に堅く守って向こうの崩壊を待つ方がよい、と助言する者があり、厳顔はそれを聞き入れ防備を固めます。

部下がひどい目に会わされて追い返されてきた張飛の方は激怒して早速押しかけます。即ち、
張飛大怒、咬牙睜目、披挂上馬、引數百騎來巴郡城下搦戰。」
“張飛は大いに怒り、歯を食いしばり、目をいからせ、鎧を着るなり馬にまたがって、
数百騎を従えて巴郡の城下へ来て戦いをいどんだ。”
ということです。やることが単細胞的です。
しかし敵に罵倒されたうえ、相手にされず、張飛のやったことと言えば腹を立てただけでした。三国志演義での張飛はこんなものです。






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