2013年11月20日水曜日

三国志演義、三国志 蜀書 関張馬黄趙伝第六 張飛伝(6)



張飛伝で当陽長阪の件の次にでてくる話柄は、劉備が益州に入り、漢中征伐から引
き返して劉璋を攻撃した時、張飛は諸葛亮とともに、攻め入るところです。
ここの表現はちょっと興味深いです。
先主入益州、還攻劉璋、飛與諸葛亮等、泝流而上、分定郡縣。」
井波律子さんの訳では
“先主が益州に入り、(漢中征討から)引き返して劉璋を攻撃したとき、張飛は諸
葛亮とともに、流れをさかのぼって攻め上り、手分けして郡県を平定した。”
となっています。張飛は諸葛亮と手分けをして郡県を平定しているのです。
三国志に出てくる、あまり頭のよくない乱暴者のイメージとは程遠い役割を担当し
ております。
 
そのあとに三国志演義にも出てくる厳顔を許す有名な話がでてきます。厳顔がどの
ような経緯で捕虜になったのかは正史ではわかりません。とにかく捕虜の厳顔が引
っ張って来られたあとは次のような話になります。
 「飛呵顏曰「大軍至、何以不降而敢拒戰?」顏答曰「卿等無狀、侵奪我州。我州但有斷
頭將軍、無有降將軍也」飛怒、令左右牽去斫頭。顏色不變、曰「斫頭、便斫頭。何爲怒
邪」飛、壯而釋之、引爲賓客。」
 
“張飛は厳顔をどなりつけ、「大軍がやってきたのに、なぜ降伏せずに抗戦したの
か」というと、厳顔は「あなた方は無礼にも、わが州を侵略した。わが州には首をは
ねられる将軍がいるだけで、降伏する将軍はいないのだ」と答えた。張飛は立腹して、
側近の者に引っ張って行かせ、首を切らせようとしたが、厳顔は顔色一つ変えず、
「首をきるなら、さっさと切ればよい。どうして腹をたてることがある」といった。
張飛は見事だと感じ、彼を釈放し、招いて賓客とした。”
 
この話は三国志演義にもでてきまして、厳顔をどなりつけるなど、演義にある張飛の
人物像とつい重ねてみてしまうかも知れません。
しかしここだけをみて人物像を考えるならば、張飛は勇猛でありながら義気のある
将軍として描かれていると思います。





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