2013年11月19日火曜日

三国志演義、三国志 蜀書 関張馬黄趙伝第六 張飛伝(5)



正史を見ると、張飛は当時猛将としてすでに令名が高かったのだろうと推測されます。
 
郭嘉伝(魏書 程郭董劉蔣流伝 第十四)の註に「傅子」(三国・晋時代の傅玄の書)
の引用があります。これは劉備が徐州を失って曹操のところに身を寄せている時の話
です。すなわち当陽長阪の事態の起こる前の話です。その「傅子」の中で郭嘉は
備有雄才而甚得衆心。張飛、關羽者、皆萬人之敵也、爲之死用。」
と言っています。井波さんの訳によれば、
“劉備は人並みはずれた才能をもっているうえに、人々の心をたいへんよくつかん
でおります。張飛や関羽は、皆万人を相手とできる英雄でして、彼のために決死の
はたらきをします。”
ということです。
 
劉備の当陽での大敗のすぐあとに次のような話がでてきます。
程昱伝(魏書 程郭董劉蔣流伝 第十四)の中で、曹操が荊州をとり、劉備が呉を頼っ
た時、諸将が孫権は劉備を殺すだろうと判断したのに対しての、程昱の見解がかかれ
ている部分があります。その中で、 程昱は
劉備有英名、關羽張飛皆萬人敵也。權必資之以禦我。」
と言っています。訳は
“劉備は英名があり、関羽と張飛はいずれも一万人を相手に立ち向かえる人物だ。
孫権は彼らをたすけとしてわれわれに抵抗するにちがいない。”
です。
 
郭嘉も程昱も張飛(関羽もですが)を「萬人敵」と言っています。これは物語ではな
く現実世界の話ですから、「萬人敵」は個人的武勇の話ではなく将軍として猛将であ
り優れていると評価しているはずです。
 
こう判断する具体的根拠は正史を読んでも見えにくいです。多分いろいろ戦はあった
でしょうが、その中で張飛は積極的で勇敢な作戦をとり成功を収めていたのでしょう。
 
三国志演義だと、一人で一万人にも当たれるという大げさな表現は、彼の示す個人的
武勇で保証されている形になります。実際の話ではありえないですが、演義の中では
張飛は手並みが人並み外れてすぐれ敵将を蛇矛で突き殺してしまいます。
 
しかし、頭と酒癖が悪く腕っぷしだけの男では大将はそもそも勤まらないし、程昱や
郭嘉が高い評価をする筈がありません。
 
その結果として、張飛という名前だけで彼が一軍を率いて現れたら恐ろしい、という
印象を人々がもっていたが故に、川を頼んで小人数で支えられたのでしょう。当陽長
阪での張飛の成功は彼のもつ猛将としてのオーラ(aura)だったと思います。





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