張飛という人は三国志演義では乱暴者のように描かれています。 三国志演義の第二回は
「張翼德怒鞭督郵 何國舅謀誅宦豎」すなわち、張翼徳 怒って督郵を鞭うち、何國舅
謀って宦豎(かんがん)を誅す、の段です。ここで賄賂をもとめ、応じてくれない劉
備を陥れようとする督郵(監察官)を酒を飲んだ張飛が鞭打ちます。劉備は止めに行き
ますが、結局官位を放り出します。
しかし正史によれば黄巾の賊征伐で手柄を立てて安喜(安徽ではない)の尉に任命された
劉備が、督郵が県に来たとき、面会を求めたが許されなかったのを怒って督郵を縛り上
げ、杖で二百回もうちすえ、官職を捨てて逃亡したという話になっています。
この時関羽張飛も一緒に逃げたのでしょう。
乱暴を働いたのは張飛でなく劉備です。 三国志演義では第十三回において、曹操に敗れ
て頼ってきた呂布を劉備が小沛に受け入れてやるところで、張飛は引き取ることはない
とばかり呂布に喧嘩を売り、劉備に叱られたり、関羽になだめられたりします。呂布が
劉備のことを弟と呼んだのがバカにしている、とばかり槍で命のやりとりをしようと騒
ぎます。
正史にはこんな話はでてきません。呂布伝(魏書 呂布臧洪伝 第七)では呂布が劉備を
たよる部分は「布東奔劉備」、つまり“東へのがれ劉備を頼った”とあるだけです。
三国志演義の十四回において、曹操は劉備が徐州を領し、小沛に呂布をおいているが
二人が協力したら面倒でどうしようか、と配下の意見を聞きます。
荀彧が、劉備が徐州を領したが、勅命を受けていないので、曹操は詔を請い劉備を徐州
の牧にした上で、呂布を殺すように密書を与えて殺させたら良い、と提案します。
作り話とはいえ、この計略は子供じみています。また荀彧のような人柄の人が考えそう
な話ではありません。
この手紙に対して劉備は、“よく考えさせて下されい”と勅使に言い、後で皆と協議し
ます。この時張飛は、呂布は義理を知らない人間だから片付ければよい、といいます。
劉備は承知しません。
実際に呂布は義理堅い人間とは言えないですから、張飛がこのように言うところまでは、
これも一つの意見と言えますが、あとがお粗末です。
呂布が、劉備が徐州牧の勅命を拝したのを祝いにやってきたところへ、剣をもってあば
れこみ、「曹操が貴様を不義者と言い、おれの兄貴(劉備)に殺すように言いつけたの
だ」と言って斬ろうとします。やることも乱暴だし、口に出したことも程度が悪すぎで
す。本当にこんな有様だったら、武官としても人の上に立てるような人ではありません。
劉備に疎まれて遠ざけられることでしょう。
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