2013年7月6日土曜日

漢書;王莽伝第六十九(4)



王莽は帝位を奪う際、心ならずも符命(天の命令)により帝位を継いだと幼帝に言いました。しかし相手は二歳で即位、帝位を奪われる時に六歳ですからこれは幼帝に話したのではありません。周りに聞かせたのです。

その後も自分は漢室を助けるつもりだった。昔、周公は摂位にあって、ついに成王に王の位を返すことができた。だけど自分は何度も現れた天の命令によって意のままにすることはできない。仕方なく帝位を継いだのだ、と言い続けます。

こうなると符命が非常に大事ですから、滑稽なことになります。
自分が皇位を簒奪した根拠とした哀章というものが銅櫃文書には「王莽の大臣八名の姓名、その他に二名形式的に王興、王盛という美名、あとはこのでっち上げ作業の実行犯の哀章の名前があって合計十一人が天子の補佐、」として署名されていました。符命だからそうしなければいけません。

王莽の補佐だった諸大臣が諸公に封ぜられるのはもとより、哀章自身もうまいこと国将・美新公にありつけました。
哀章が、王という名前の美名である王興、王盛についてはそういう名前を名乗るものを探し出し、顔を見て、占ってこれがよかろうというものを決めて、王興を衛将軍・奉新公、王盛を前将軍崇新公としました。こうして選抜された王興は城門の門番、王盛は餅売りだったそうです。これにはさすがに呆れた人間も多いと思います。

王莽は初めは天命などバカにし、天の意思などないものとし、符命を利用だけするつもりだったのに、符命に逆襲されるようになります。いないと信じていたはずの天帝が本当に出てきたかのようです。

彼は「符命」四十二篇を天下に頒布させます。構成は徳祥(幸いの徴)五事、符命二十五事、福応十二事からなるものです。
符命イデオロギーの教宣活動です。天の表した不思議を述べ、王莽が漢に代わって天下を保有すべきであるとする主旨を説きました。

王莽が天下を取れとの天からの直接命令は十二の事象が語られています。
最初の不思議は例の武功県の井戸から出てきた石です。これに対して王莽は遠慮して摂皇帝に留まったという言い方をします。(本当はこれを利用して仮皇帝になったというべきですが。)そのあと引き続き天意を示す不思議が繰り返し現れ、それが漢書に一つ一つ引用されています。十二回目が例の哀章の銅櫃です。最後の符命でも一応ちょっとぐずぐずして見せてはいるのですが、結局天意に従う形で皇帝になります。

こんなことをしているとどうなるか。
“当時人々は符命を競い作って侯に封ぜられようとしていた、”とあります。みんな符命が天意の現れなどとは信じていないのです。
そういう悪巧みをしない人達が冗談に“ひとり我々にはだけは天帝の叙任の辞令がないのか”と言いあったとのことです。王莽の符命イデオロギーは足元から腐ってきています。

それで王莽が指示して、五威将率が導き告げたもの以外で言ってきたやつは獄につないだそうです。これでは符命は王莽が許可したものだけO.K.と認める、という珍妙なものになります。

天下を取るためにあると称した符命は単なる虚のものではなくて、腐敗菌だったのです。その腐敗菌はそのまま自分の取った天下で増殖してしまったようです。



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