2013年7月1日月曜日

漢書;王莽伝第六十九(3)



これまでに王莽の偽善による人気取り、酷薄非情な政敵の排除の話を書きました。

卑しい人間の積極的に王莽を称賛する出世活動についてはすでに書いたところです。

さほどまでに卑しい人間でなくても、王莽の敵になったら陥れられて一族皆殺しにされるという危険は考えます。逆らったら身の危険がある相手には逆らい難いです。他の人がみすみす陥れられても見殺しにします。善良な人の恨みを買っても身の危険はないですが悪人は怖いです。人間とは弱いものです。

王莽が領地が加増になり、彼一流の偽善により賜った(収入の多い領地である)“新野の田”をお上に返したのですが、そのことについて上書した役人や人民は王莽伝に487,572人!と書かれています。
王莽様は立派な方で、王莽様が辞退しても是非、“新野の田”を彼に与えるべきだとかいうのです。小役人や一般人民の一人ひとりを王莽は知りません。逆に彼らにしてみても上書して王莽によく思われるメリットはありません。そもそも当時宮中で誰が何を言って偉いのか、などの情報を下々が知る由もないし、仮に噂で王莽のことを偉いと思っても、自分が上書したからどうなるものでもない、と考えるのが自然だと思います。そうなると結論は一つで、上書は強制されたのではないでしょうか。
この膨大な上書はろくに読まれなかったでしょうが、王莽にとっては一般人民にこれほどに自分があがめられている、という宣伝にはなります。

最後の極め付けが“符命”です。符命とは天の声です。
まず、九歳で帝位についた平帝が十四歳で亡くなりました。そして跡継ぎについて王莽は兄弟を世継ぎにするのはおかしいと理屈をつけ、わずか二歳の嬰というものを後継者に指名しました。

こういう段取りをしたあとで“符命”が出てきます。武功県長孟通というものが井戸を浚ったら石がでてきて、それに赤い文字で「安漢公王莽に告ぐ、皇帝たれ」王莽は安漢公でした)と書いてあった、という話を前煇侯の謝囂が奏上してきたのでした。

こんな天の声は全くのでたらめで、現代人ならば王莽が指示して孟通と謝囂にやらせたに決まっている、と判断します。

してみれば前回のところで書いた呉章、呂寛の王莽についての見立ては根本的に間違いで、王莽は鬼神を恐れているように見せながら、心の底では初めから鬼神なんか問題にしていなかったことになります。これまで奏上された王莽をほめたたえる文書に、王莽の善政により瑞祥(甘露が降ったとか鳳凰が舞い降りたとか)が現れたなどという記述はありますが、それはでっち上げだと王莽自身はよく知っていたのでしょう。

とにかくその符命が効いて、王莽は仮皇帝(臣民は摂皇帝とよぶ)となり、ほぼ皇帝扱いです。後継者に決まった劉嬰は皇太子で孺子と呼ばれるだけになりました。

王莽が皇帝並みになってしまうと、さすがに王莽は不忠の臣で簒奪者だと言って旗揚げするものもでてきます。しかしここでの反乱は手遅れで、反乱は撃破され、反乱者は誅殺されていきます。

仕上げは現代人からみればひどいものです。
哀章というものが銅櫃をつくり、これについて検印封蔵の表書きを二つ書きました。一つは天帝(皇帝でなくて天帝)の使用する印と金の八卦の図と称し、もう一つは赤帝の印と高祖(劉邦)が伝えた黄金の札(金策書)と称しています。なお赤帝とは夏の神で高祖は赤帝の子とされています。

後者の書の方には、王莽が真の天子であること、皇太后は天命に従わなければならないことが書かれていました。図と書には、王莽の大臣八名の姓名、その他に二名形式的に王興、王盛という美名、あとは、このでっち上げ作業の実行犯の哀章の名前があって合計十一人が天子の補佐である、となっている代物です。これを王莽は受け取って天命を受けると称して漢を廃して新という国を建てると宣言します。

幾ら太后から褒められても、下からみんなが褒めそやしても王莽が皇帝になれる理屈は出てきません。しかし天を持ち出せばそれは可能になる、ということで無理してやったわけでしょう。

しかし、いくら二千年前とはいえ、内心、符命はいんちきと思う人はいるでしょう。そういう声が表だって増えれば、彼の帝位の正当性がたちまち怪しくなります。ここに一つの欠点があります。
もう一つの問題は、周囲に集まった人の資質です。周囲の人材はゴマすりですり寄って来た人達の集団です。人格、見識、政治能力、事務能力がある訳ではありません。王莽が言えばそれに従うだけです。そして王莽にとって都合の悪いことを言いません。自分が安泰で、栄華を極めたいから王莽に倒れられては困るからこれを支える、というだけの人達です。英雄豪傑でも能吏でもないのです。ここに二つ目の欠点があります。
この欠点は大きいです。これらの連中は失政を止める力にはなりません。そして世の中が混乱し、不平分子が立ち上がったとき、それをどうすることもできません。

これではこの新という国は持つわけないと考えられます。



歴史ランキング にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿