2013年7月17日水曜日

三国志 蜀書;諸葛亮伝第五 (4)



諸葛亮は劉備軍が当陽で敗れかろうじて夏口まで逃げた時に、劉備に提案して呉の救援を求めるために呉へ行きたいと提案して、呉へ行きます。
ここで彼の外交能力が発揮されます。これは関羽や張飛、あるいは趙雲ではどうにも勤まらない舞台です。

三国志演義の中では初めに、多くの孫権の(和平派)臣下と論戦したことになっていますが、正史の蜀書 諸葛亮伝(井波律子訳)では孫権を説得した話のみ記載されています。

説得の流れはまず、曹操に対して戦うか、降伏するか早く決めないと禍を招きます、と説きます。これは理にかなった話でその通りでしょう。これで孫権が諸葛亮に、なぜ劉豫州(劉備)は曹操に従わないかと言わせます。諸葛亮は、劉豫州は王室の後裔にしてその英才は世に卓絶している、争ってだめならそれは天命。どうして曹操の下につくことができましょうか、と答えます。これで孫権に、ならばどうして呉の土地と十万の軍を持つ自分が降伏しようか、とまず言わせています。

そのあと諸葛亮は以下の論理を述べます。
敗れたりとはいえ、残兵と関羽の水軍合わせて一万、劉琦(劉表の長男)の江夏の軍が一万ある。
曹操の遠征軍は強行軍でやってきて「強弩も勢いつきては(薄い)魯縞さえ破れない」状態である。
北方の人間は(長江での)水戦に不慣れである。
荊州の人間はまだこころから曹操に従っていない。
よって呉が数万の兵をだして、勇猛なる大将に率いさせ、劉備軍と力をあわせれば撃ち破れる。

こうした事でも、格下の人間がピントの外れた話をしても相手にもなりません。そこそこの家柄の名士であり、頭もよく堂々たる論陣を張れるので、使いとして相手にされ、成功したと思います。(私にその格上の人の迫力のある外交を説明する資格はないのですが

彼の見識、能力から出る整理された話が説得力をもち、孫権、および呉の力のある人間(周瑜、魯粛など)をして劉備軍と一緒に魏と戦おうという気を強くさせたはずです。ここで彼は外交的成功を収め、その後の天下の流れに大きな影響を与えたことになります。

呉の臣下にも主戦派と和平派がいたことは事実で、その動揺を招きかねない和平派をおさえこめるだけの論理的説得力はいずれにせよ必要だったので、諸葛亮の話は呉の内部の主戦派に力を与えるものだったでしょう。

一方、この同盟が追い詰められた劉備のために諸葛亮の舌先三寸だけでまとめた話とは思えません。それでは呉は協力する価値もない者に利用されただけで、まるで馬鹿みたいです。
説明の根拠の一つとなる、“残兵と関羽の水軍合わせて一万、劉琦(劉表の長男)の江夏の軍が一万ある”、という、”(同盟軍としての価値のある)兵力は残している”という説明は本当だったのでしょう。

実際、三国志 魏書 武帝紀第一では赤壁の戦い部分は、「公至赤壁與備戰、不利。於是大疫吏士多死者、乃引軍還。備遂有荊州江南諸郡」で、井波律子さんの訳では“()公は赤壁に到着し劉備と戦ったが負け戦になった。そのとき疫病が大流行し、官吏士卒の多数が死んだ。そこで軍を引き上げて帰還した。劉備はかくて荊州管下の江南の諸郡と支配することとなった。”です。つまり、正史の武帝紀では曹操は赤壁で劉備と戦ったのです。

また三国志 蜀書 先主伝では「先主遣諸葛亮、自結於孫權。權、遣周瑜程普等、水軍數萬、與先主幷力、與曹公戰於赤壁、大破之、焚其舟船。先主與軍水陸並進、追到南郡。時又疾疫、北軍多死、曹公引歸。となっていて、井波律子さんの訳では“先主は諸葛亮を派遣して孫権と手を結んだ。孫権は周瑜、程普ら水軍数万を送って、先主と力を合わせ、曹公と赤壁において戦い、大いにこれを打ち破って、その軍船を燃やした。先主と呉軍は水陸平行して進み、追撃して南軍に到着した。このときまた流行病が広がり北軍(曹操軍)に多数の死者がでたため、曹公は撤退して(許に)帰った。”です。
ここでは劉備の軍は呉軍と協力して曹操軍を打ち破ったことになっています。

さらに三国志 蜀書 諸葛亮伝では「權大悅、卽遣周瑜、程普、魯肅等水軍三萬。隨亮詣先主、幷力拒曹公。曹公、敗於赤壁、引軍歸鄴」で井波律子さんの訳では“孫権はおおいに喜び、すぐさま、周瑜・程普・魯粛ら水軍三万を派遣し、諸葛亮について先主のもとに行かせ、力を合わせて曹公を防がせた。曹公は赤壁で敗北し、軍勢を引き上げ鄴に帰った。”です。
ここの表現では周瑜・程普・魯粛が諸葛亮に同行して劉備のところへ行き、協力して曹操を打ち破ったことになっています。

つまり劉備の兵力が問題にならないものではなく、劉備軍は呉が戦いに乗り出す背中を押すだけの価値があったし、それを諸葛亮は呉にうまく説明できたのだと思います。

逆に劉備軍に全く力がないのなら、呉にとって話を聞く価値はなく、単独で曹操とどうするか決めることになります。長江の向こうに降伏した荊州があり、その荊州の水軍が上流側にいます。そして曹操の大軍がいるのです。曹操が全部とっておしまいという可能性もあったと思います。

三国志演義の諸葛亮の話が、矢を一晩に十万本集めたとか、東南の風を吹かせただとか荒唐無稽な話が多くて、却って赤壁の戦いにおける劉備軍の価値を下げているように見えます。



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