2013年7月9日火曜日

三国志 蜀書;先主伝第二 (1)

「三国志演義」での劉備は過度に情け深く、決断力にも乏しい人に見えます。なんで有能な人士が彼のためにこんなに頑張るのだろうか、とさえ思います。

 しかし中国長編小説の主人公はしばしば本当の主人公でなくて、積極的には何もしないで担いでくれる人に乗っかっている人として描かれます。「三国志演義」 の本当の主人公は諸葛亮です。あと関羽、張飛、趙雲が準主役です。「西遊記」の三蔵法師は大した人格者でもなく、定見もなく、何をする訳でもありません。 本当の主人公は孫悟空です。「水滸伝」の梁山泊の首領の宋江も忠義だの孝行だのと建前を並べるだけで、自分から迅速に有効な手を打つ訳ではありませ ん。何でみんなが宋江をあんなに尊敬するのかわかりません。彼は本当の主人公ではなくて、その時々に活躍して梁山泊に身をよせてくる豪傑が生き生きと描か れ、交代で主人公を勤めているのだと思います。

 正史において劉備はもっと積極的、野心的です。しかしやはり情の人でもあります。
 私は曹操、孫権と劉備は際立って異なる点があるように見えます。 あの戦乱の時代ですから、戦は已むをえません。それに伴う処刑もあります。
問題はいわれなき処刑や残虐行為です。

 曹操は漢の天子を押し立てて、天子を差し挟んで天下に号令していました。しかし、漢王朝の臣下の中で一方的に強大な力をつけていく間には、彼にとって邪魔 になる者もおり、逆に彼を簒奪者であると憎むものも出てきます。これらの曹操の敵を容赦なく罪に落とし、滅ぼしました。罪に落とされた方は大体が一族皆殺 しです。
 また、荀彧がその例ですが、気に入らぬ臣下を自殺に追い込んでいます。

徐州で曹操の父親の曹嵩が陶謙(あるいは陶謙の配下の者)に殺されました。曹操がこれの敵討ちをしてやろうと考えたのはよしとしましょう。しかしその兵が 通過した地域では多数の者が虐殺されました。曹操の兵は略奪し、住民を殺戮したのです。犯人をやっつけるのでなく、(すくなくも陶謙は殺していません。)その地域に住んでいた人を腹立ちまぎれに殺したのです。

一方、当陽で劉備が曹操に負けた時、荊州の多数の人々が車に荷物を積み、劉備についてきました。曹操軍の略奪・暴行・虐殺を恐れたのでしょう。逆に劉備には信頼 があったということなのだと思います。
この時足手まといになる大勢を置いて、急いで逃げるように人から勧められた時、”夫れ大事を為すは必ず人を以て本と為す。今、人我に帰するに、我なんぞ捨 て去るに忍びんや。”と劉備がいったのはあまりにも有名です。
 この言葉は、身の安全が確実で、体裁のいいことを並べていれば済む場面での言葉ではありません。また、知恵が足りなくて、自分の身の非常な危険を察知しな いまま呑気に言った言葉でもありません。自分が死ぬか生き残れるかのぎりぎりのところで、このように述べ、そのまま敗北したです。ある種の人主たる資格を持った人なのだと思わざるを得ません。

 孫権は若いころの話は英明なる君主と言ってよいのかも知れません。しかし猜疑心のつよい性格で容赦なく人を殺しています。例えば自分の後継者について、孫 登、孫慮という上の子たちが早世したので、孫和を皇太子にしました。しかし後にそれを廃して、歳をとってから生まれた末子の孫亮を皇太子にしました。これを諌めるものが多数ありま した。その結果はといえば、陳正と陳象は一族皆殺しにされました。朱拠と屈晃は殿中での棒たたき百を加えられました。その他にも誅殺されたり追放されたり したものが幾十人もでたとのことです。(呉主五子伝第十四)
 こんなやり方は沙汰の限りというものです。

しかし、劉備には(そして諸葛亮にもですが)自分たちの勢力を伸ばすための駆け引き、策略はありますが、曹操や孫権のやったような理不尽な残虐行為の記録がありません。



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